六本木詩人会 六本木詩人会 ホテルアイビス六本木

風の十編

和合亮一






手紙を書こうとすると
あなたに伝えたい気持ちが

いっしんに便箋の上を
ざあっと駆け抜けていく

風の強い丘で
一度は

途方に暮れてしまう
さあ どうするか

そこからとぼとぼと
歩き出して

この部屋の
机の前まで戻ってきて

一行目を書こうとすると
風が吹く


  風


きみに想いを
告げたいと思って
空を見つめているばかりだ
くるくると回っている 
あれは僕の風

 風の強い日
 青い空を見つめて 
 くるくる 

くるしい僕の心と
風を探してみる 
くるくると

 くるくると
 風が見えてくると 
 消えた 

憧れているのだ 
新しい息吹を連れて 
草の生い茂る向こう岸から 
たくましい
真実を連れてくるくると

 青年の表情をしている
 風が見えてくると
 くるくると
 消えた

新しい
季節が舞う姿を
見てみたいものだ
ゆっくりとその中で
風と目を回す
僕の心と
見つめ合ってみたい

 くるくるとやってくる 
 きざしの渦
 少し前に生まれたばかり
 やわらかな
 秋の 
 野原の息吹

何もない
美しい
はるか
青空に
きみの心に
風 

見えてくると
消えた
まだ
見つけることは
出来ない
いつか


  風


風の吹く朝に 頭の後ろを 
大きな海が通り過ぎていった

風に吹かれている間に間に 鋭い一秒が
誰も知らない自転車になって倒れている 

ペダルがただ無造作に黙っている

風の吹く朝に もぎたてのトマトを食卓に並べて
光沢の海を渡りきって たどりつきたかったのは

銀色の谷だった 風の溜まり場の底の底

刻みつけられている唯一つの足跡 誰も知らない
僕のさびしい人格 難しい出入り口を想像しながら
噛みつくトマトの青空

風の吹く朝に 折れた心に陽があたり
大気の中に紛れている 光り輝く愛の青空の下で
波立つ沼の水面に八つ手の葉を浮かべるとかなしい

遠い記憶を虹色に染めたまま耳の大きな象の群れを追う
僕の弟は伊達メガネをかけて出掛けてしまった

足の裏に感ずる若い草の息吹は
僕の折れた心の中で 生き生きと吹き渡る

草の影はせわしなく風の姿を追いかけるから
僕の心は涙そのものになっていく
涙が泣いている

涙が僕の目の前で泣いている
風に吹かれて 遠くの町へ運ばれていく寝台列車

ああ 頭の後ろを
風と大きな海が通り過ぎていった


  風


心のいちばん悲しいところに
涼しい風が吹いてきて 
僕は思うことがある

たぶん生きることの一番大切な瞬間には
見ず知らずの風が吹いてきて 
荒野の草をなぎ倒して

美しい旋律を盗み聞きして
叫ぶように吹きすぎていく今だけがある

いちばん悲しいところに
吹き止まない今がある

だから
風を祭れ





指の先に風を感じながら 
僕の心は交差点を通り過ぎた
不思議な色合いの車が行き過ぎた

紋白蝶と見まちがうばかりの軽快さ
傷ついた切手を大切に見つめると 

指の先に感じる風は
手のひらに美しい道を運んでくる

ようこそ
切手の風景へ

 風の往来
 過ぎ去った後の手のひらの地図
 霧の
 始まりと
 終わり
 はるか
 遠い丘に
 吹き続けている

 風
 吹かれているのは
 野の馬

 沼のさざなみ
 揺れている木

 鳥の鳴き声
 面積の分からない図形問題をにらんで
 黙り続けている大きな岩
 沈んでいる悲しみの底に
 巨大な磁石

 分からないのは世界の
 横顔

切手に描かれた
油絵の野原で
風が回る


 風


聞こえてくるものは
見ることのできない地理である
だけど 良く分かる
風の地図が手のなかで消え去ったから

 麦の穂が揺れて
 森と林が騒ぎ合って
 犬が何かを思い出して 
 吠えて 駆け回っている

風を探して 歩き回り
疲れたまま 呆然と
記憶を洗う 風の中で

なきじゃくる子どもの頃の僕が
足の傷を持て余して
家路を急ぐ

風がなぎ
 草をなぎ

野が
 丘が
 岸が
 雲が
 
 追われている

立ち止まることのない影とは何?
追いかけてきて
追い越していく影とは何?

僕の影
この世に生まれてきてからずっと
僕を守っている影
僕を追っている影
僕を越していく影



  風


 今日の僕は
 今日をよく眠る 
 急げ 
 何を?

急げ
急げ

間に合わないよ
馬のひづめ

息を切らせている
世界中の焦り
風の影

間に合わない
僕の後ろを追い抜いていく
止まらない風の影

何億もの鳥が
僕を急がせる

影だ 過ぎていくのは
風と雲の影だ

忙しいこの星の
悲しい悪ふざけだ

急げ
間に合わない

僕が
僕に

風が
強い

急げ 
 何?
 夜半の風の音で
 少しだけ 目が覚めた
 また眠る  
   
   
   風


風が指の先を吹き抜けていった 
丘の上に
忘れてきたものとは何だったのか 

作りかけの 
旅客船のプラモデルが砂に埋まったままだ 
ここに 悲しい気持ちを傾かせる
船体の模型と象徴とがある 

何を 想っているの 
風よ 指の先に吹く風は触わることの出来ないままに
「秋風が吹いてきたとしたらその時にやって来よう 
待っていなさい」 
するりと吹き抜けていく 
あなたも僕も悲しい 

風を抱えて 
野に山に海に
白い髪の毛を生やしてきた 
風は裏切るか
風は絶望するか 
風は孤独死するか 
風は幸福を求めて 
それでもさまようのか 

気が付けば あなたと 
僕の髪は 真っ黒だ

あなたと僕の知らない世界

青々とした海原を行く一艘の船

鮮やかな白い帆を 張ったのだろう




  風


僕の心にはいろんな風が吹いている

ひとつめは 生まれたばかりの風だ
花を揺らして青空の言葉をひろっている

 野原で犬と一緒に
 空を見上げている少年がいる

ふたつめの この風は荒々しい
八月の植物や虫たちと怒鳴り合って 

 盛夏 
 鳴り止まない太鼓に追われる男がある

みっつめは 赤く色づいている山河
一つの命の終わりを告げる風 満月を見上げて

 簡単なほどに複雑な愛
 その意味を知ったばかりの青年がいる

最後は とても寒い風なのだけれど
新しい朝日と白鳥の影がとても優しい 

 しずかに芽吹きはじめる季節に
 ふと振り向く雪原の子どもがいる

こうしてきみと肩を並べていると
良く分かる

 きみの心にもいろんな風が吹いている





晴れ渡った空に
飛行機雲

約束を思い出している



果たせなかったもの

これから

果たさなくては
いけないもの

真っ直ぐな

飛行機雲の

向かう先に

あるものは



だろう





★本詩は10月13日に仙台青年文化センターシアターホールで開催される和太鼓作曲家佐藤三昭氏とのコラボレーション「言音の詩」のために、編んだ第一稿目である。



和合 亮一(わごう りょういち)
1968年生まれ。
第1詩集「AFTER」で第4回中原中也賞(1999年)、第4詩集「地球頭脳詩篇」で第47回晩翠賞を受賞(2006年)。
読売新聞・日経新聞(夕刊)・ディズニーファミリーサイト等に連載中。

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1 コメント “風の十編”

  1. 「風」という言葉のリフレインが心地よく
    叙情の切なさがよく出ていると思いました。
    感服!!!

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