六本木詩人会 六本木詩人会 ホテルアイビス六本木

殴られる聖母M、あるいは「芸術は可能か?」と問いかける夜に浮かんだ3つのクエスチョンマークを帰結とする3つのセンテンスそして1つのエクスクラメーションマーク(…やがて沈黙S

(六本木アートポエトリーシリーズNo.666)
カニエ・ナハ



st.岡本太郎vsアドルフヒトラー

芸術は爆発だといった芸術の爆発の男の絵画作品より彫刻作品よりコトバよりなによりが爆発していて髭(余談だが髭と髯と鬚の違いはなんだ)のシュールレアリズムの男も鮫のように生涯その作風と女を変え続けたスペインの色男の画家もそうだけど彼らのの異常なまでに爛爛とした虹彩の爆発膨張した白の爆発こそが彼らのまことの最高傑作であると私はかんがえており吉行淳之介さんがについてどこかのエッセイで書いていて曰く若いうちはギラギラとしたの人間が年を取るととろんとしてより凄みが出てくるのだといった云々ののことであったが芸術の爆発の男は最後までとろんとはせずどこまでもギラギラとしていた印象であるが吉行淳之介さんは鏡に向かって自分のがどう見えるか観察していたのだが私も鏡に自分のをうつしてえんえん眺めながら眼球がこぼれるくらいに見ひらいてみたりしたものだがそういえばこないだ恵比寿の写真美術館で見た森村泰昌さんの例の髯(髭・鬚)のシュールレアリズムの男のポートレートを液晶画面上の動くポートレートとして再現/表現した作品があって顔面の筋肉がひくひくと痙攣していて例の鬚(髭・鬚)のシュールレアリズムの男が例の見ひらかれたのポートレートを撮影した際もかくのごとく奮闘したものであったのではないかと思わされて面白かったが髯(髭・鬚)のシュールレアリズムの男もまた髯(髭・鬚)のシュールレアリズムの男を演じていたのかもしれなくて誰もが誰かを演じているのであって私はダレを演じているのだろうちなみにおなじ森村泰昌さんがチャップリン演じるヒトラーを演じる映像作品および写真作品があるがヒトラーといえば演説に向けて虐殺に向けての演説に向けて日々鏡にむかってそうとう練習をしていたそうだがそんな努力家だったヒトラー画家志望だったヒトラー犬好きだったヒトラーチョビ髭(鬚・髯)だったヒトラー七三分けだったヒトラーつまりすべての努力家あるいは画家志望あるいは犬好きあるいはチョビ髭(鬚・髯)あるいは七三分けのひとはヒトラーになりうるといいうるわけで私もヒトラーあなたもヒトラー先生もヒトラーお隣さんもお嬢さんも優等生も劣等生も美大生も動物専門学校生もヒトラーみんなみんなみんなヒトラー人類総ヒトラーになりうるわけでハイルヒトラーになるわけで入るヒトラーになるわけで出るヒトラーもいるわけでアドルフ宿る人らは相殺するわけで入るヒトラー出るヒトラーアドルフ宿る人ら相殺入るヒトラー出るヒトラーアドルフ宿る人ら相殺入るヒトラー出るヒトラーアドルフ宿る人ら相殺入るヒトラー出るヒトラーアドルフ宿る人ら相殺それでそうかあの髯(髭・鬚)のシュールレアリズムの男も常時あんなふうにを見ひらいていたわけではなくてそれは芸術の爆発の男もきっと同じだろうそういえばどこで読んだのだったか聞いたのだったか忘れたけど芸術の爆発の男はカメラがまわるととたんに芸術の爆発の男を演じるようであったということだがもしかしたら普段はもっととろんとしたをしていたのかもしれないそれで見ひらいたといえばほかにおもいだすのは史上最低の映画監督の伝記映画の主演をつとめた海賊映画で有名な男優のあの頃はトガっていてよかったなどうしてたいていみんな父親になるとまるくなってしまうんだろう自分もいつかそうなるんだろうかなんてことはいまはどうでもよくて史上最低の映画監督を演じる海賊映画で有名な男優のあの爛爛と見ひらかれたがとても好きでわたしはあのを見るために何度も何度も繰り返しその映画を観たのであったがそれはさておいて私は芸術の爆発の男の写真をいろいろな雑誌などでかき集めてそのだけを切り抜いて部屋の壁や天井や床や家具に貼り付けた幾百ものをわたしの部屋の壁に天井に床に家具にありとあらゆるところに貼り付けてそれでもなにかが足りない気がしてわたしはわたしの頭に腕に足に胴体に背中に踝にふくらはぎに身体のありとあらゆる部位に貼り付けて芸術の爆発の男の切り抜いたを貼り付けて貼り付けてからだじゅうが芸術の爆発の男のになってからだじゅうがになって芸術になってからだじゅうが爆発になって爆発の男のからだぢゅうに爆発になって芸術になって爆発の男のになって私は待っている芸術の爆発の私は待っている爆発の芸術の爆発の私は待っている芸術の爆発の爆発の芸術の私は私の待っているのだがしかしそもそもそれ以前の問題なのだが問題はいまこのぬるま湯の国で問題なのは温泉ならばもちろん可能だけれども温泉の爆発は可能なのだけれども爆発の温泉も可能だとおもうけれど温泉の爆発のだけどでははたして芸術は可能か



nd.国旗のデザインの話なんだけどあれってどうなんだろう?(※あくまでデザインの話なのであってそれ以上/それ以下の他意は全くないのでくれぐれも誤解のなきようお願い申し上げます。)

沖縄出身のアーティスト照屋勇賢さんの「さかさまの日の丸」という作品はこの国の国旗をさかさまにして展示しただけなのだがシンプルでとても面白いところでみんなそもそもあの国旗どうおもいますぼくはここだけの話あまりすきじゃないんですデザイン的にいけてないんじゃないかっておもうあくまでデザインの話をしているんであって愛国主義とか右とか左とか戦争とか侵略とかの話をしてるんじゃなくてただ単純にデザインの話をしているのであってくれぐれも誤解のなきようお願いしますもちろんそれらについておもうことかんがえることもないわけではないしあるにはあるのですけどこれはこの文章はいちおう詩ってことになっているからそういう思想的なものとか政治的なものを明確にうちだしちゃうと詩じゃなくなっちゃうんだよたぶんすくなくとも詩じゃないっていわれちゃうんじゃないかなでもそもそも詩ってなんなんだろうねまさか行替えすれば詩になるってもんじゃないだろうし遺伝子を組み換えて新しい食物だか生物を誕生させるようにして言葉の組み換えによってあたらしい意味とかイメージを生み出すことが詩だとしたらそれってブンガクっていうよりとってもサイエンスとかバイオロジーとかっぽいよねそもそも詩ってブンガクなのかもよくわかんないしそもそも詩ってだれのためのだれのものなんだろうかいまのところの現状でいうとすくなくとも「現代詩」って呼ばれるジャンルにかんしていえば書き手による書き手のためのって感じになっててそれがあたしには息苦しいったらありゃしなくてたとえばいっそのこと蟻とか雲のために詩が書けたらっていいな書きたいなあって最近おもうよまじでまあそれはさておいて俺が国旗のデザイナーだったらこういうデザインにはしなかったとおもうんだよなまあシンプルな点はおおいに評価できるとおもうんだけどさやっぱり詩だって旗だって食べ物だって生活だってシンプルなのがいちばんだもんねシンプルイズベストシンプルライフシンプリーレッドそれで国旗のデザインだけどやっぱりあの白地にの色があんまよくないとおもうんですおもいっきり主観なんすけど好みの問題すから気にしないでくださいっすねそれでむしろ色変えてにしちゃったほうがシックでいいんじゃないかなっておもうこの国ってどの国もそうだけどたくさんの死者のうえになりたってるんだから喪に服すみたいな意味っていうかニュアンスを込めてそしたら国旗掲揚とかある開会式とか朝会とかももっとおごそかな感じになるとおもうんです一個の国家が存在していることってそんな紅白っていうような目出度いことじゃないんじゃないかっておもうんですそもそも人間が存在していることが地球にとって目出度いことかどうかはなはだ疑問だとおもうんですっていうのは今年は「国際生物多様性年」というのだそうですけどおもに人間のせいで生物の多様性は大いに失われてきているそうですってこないだ読んだ「Newton」て雑誌のうけうりなんですけど人間はこれまでにすでにいったいいくつのほかの種を絶滅させてしまったのだろういまもさせつつあるのでしょうそれってたとえば人間同士のことでいえばヒトラーがユダヤ人に対してやろうとしたこととおなじなわけで人間が地球にたいしてやっていることはとてもナチ的といいうるわけでそんなこと考えだすとときどき自分がヒトラーとたいして変わんないんじゃないかっておもうんですかんがえすぎでしょうかかんがえすぎなのかなあとにかくそれかんがえだすと暗澹としたきもちになるからやめますけどそれで国旗のデザインの話にもどるとでもとってもシックな白地に案だと草野心平的にいうと冬眠ってことになっちゃってあいちおう説明しておきますと草野心平さんて詩人がおられまして蛙ずきの詩人で蛙の詩ばっか書いてたような方ですけど彼の「冬眠」ていう詩がありまして本文は以上終わりってそれっていま本文て書いたけど文なのか詩なのかってぼくもあなたもみんなみんなおもうわけですけどでもそこでわたしおもうんですけど一見して詩であることが自明であるような詩ってそりゃ詩ではあるとはおもうんですけどはたして現代詩といいうるのかどうかはなはだ疑問だとわたしはおもうんですがそれはさておき新国旗案ですけど白地にだと冬眠国家みたいで一億総冬眠てかんじで比喩的な意味でいえばあたらずともとおからずなのかもしれないけどさもちろん見方によるとおもいますがそれでおもいだしたけど昔テレビが普及しだした頃に一億層白痴化なんていわれて小津安二郎監督の「お早よう」って映画がそのへんの空気をあざやかに描いててとっても面白いんだけどちなみに小津監督のカラー第二作目だったとおもいますまちがってたらごめんねそれはいまはどうでもいいやでも小津映画のたとえば「麦秋」とかでだれかの手から離れた風船が空に消えていくシーンがあるでしょうあるんですねそれを老夫婦が見つめているんだけどその風船が戦争に行って帰ってこない彼らの息子のメタファーになってて戦争に行って帰ってこない彼らたちの息子たちのメタファーになっていて世界中の戦争に行って帰ってこない彼らの息子たち娘たちのメタファーになっていて戦争に行っていまも永遠に帰ってこないのことを哀切におもいださせてとっても悲痛にみちたポエジーがあるんですね小津監督はああいう演出がとってもうまいんですそうそう誰かお詳しい方に聞きたいのですけど北鎌倉駅でたところにある円覚寺にある小津監督のお墓の墓碑銘の「無」ってあれどういう意味なんでしょうそれで国旗のはなしにもどるとそれじゃあためしに白黒反転させてみて黒字にとかさこれもなかなかクールでいいとおもうんだけどあるいはおもいきってガラッと変えて白地になんてどうでしょういやいやなんとなくそれだと星条旗のアメリカを連想させていやだっていわれましてもでもじっさい最近のニュース見ててあらためてよくわかったしこれについてはみんなでもっとちゃんとかんがえなきゃいけないとおもうんだけど話しあわなくちゃいけないとおもうんだけどいまだにこんななんだからそういうこと忘れないためにもこういうデザインにするのもいいんじゃないかっておもうんだけどいやいやいかんいかん汝詩に政治を持ち込むべからずあしからず寄席でも政治と野球と宗教の話はご法度って話まえに聞いたよそういったあとでその噺家さん政治と野球と宗教の話はじめたんだけどねそいえば新宿末廣亭の深夜寄席最近いってないなあいまもめちゃくちゃ並んでるんだろうか500円で若手の噺家さんの落語や講談師さんの講談が聞けたりするからとってもお徳ですよあたしよく週末のデートでいったりしたよヘタな映画なんか観るよりずっとおもしろいよって閑話休題もっとシンプルにひたすらシンプルにもういっそのこと真っ白っていうのもいいんじゃない白旗ね降伏のサイン負けてなかったらどうなってたんだろう村上龍さんがそんな小説書いてたけどでも降伏して幸福になったということもできますよねすくなくともいまわたしがぼくがあるいはあなたがきみが幸福を感じる瞬間があったとしてそれは降伏のおかげなのではないかというかでももっと早くにすくなくとももう少し早くに降伏できたしすべきでしたなにがなんでもとにかくそんな幸福のための降伏あるいは降伏がもたらした幸福についてあれこれ考える今日この頃ですがそれはまあいいとしてとにかくやっぱり真っ白っていいよ真っ白って詩だって白が多いほうがきれいだってぼくはおもうんだよねいまあたしが書いていてあなたが読んでくださっているこの詩なんかも詩って呼べるかどうかはなはだ疑問なんだけどさこんなどっかの戦場の屍みたいな感じで文字がだーっとつらなっている詩なんて気持ちが悪いったらありゃしないその屍の山のてっぺんになつかしいお子様ランチのチキンライスのてっぺんみたいにチキンライスに似ているけれどこれは屍の山でこの赤はケチャップじゃなくて血です血人間の血の人間の屍のチキンライスのてっぺんの突き刺さっているお子様ランチの白地の赤の丸の国の旗です国旗なんです国旗なんだよそう国旗の話に戻るんだけどさそもそもほんとにもうしわけないんだけどあたし戦争知らないし戦争なんてせいぜいテレビとかゲームでしか知らないセダイだしお母さんもお父さんも戦争知らないしてか戦争とかって暗いしめんどくさいし陰気臭いしキナ臭いしバタ臭いし日本にいればニッポンにいればとりあえずは戦争しなさそうだしできないことになってるし大丈夫そうだしもしなにかあっても守ってくれることになってるし戦争とか怖いし痛そうだし絶対痛いし絶対怖いしあたしいやだし守ってくれることになってるし守ってくれるひとも痛いだろうけどそのひとのこと知らないし知らないけどそのひとにもお母さんやお父さんやおじいちゃんやおばあちゃんや可愛がってるワンちゃんや子どもがいるかもしれないしその子は赤ちゃんかもしれないしとかそんなこと考えてるとちょっとウツになりそうだから宇津井先生に宇津井先生ってあたしのお医者さまねにそーゆーウツになりそうなことかんがえるのはよしなさいってそんで適度にウンドーしなさいってウツイ先生にウツにならないようにってとめられてるから考えないし考えないようにするしだから戦争なんてわかんないしせんそうなんてむずかしくてわかんないしじっさい体験したひとから聞いてみないとわかんないしちょっとだけ戦争知ってたおじいちゃんは死んじゃったしもっといろいろ話聞いとけばよかったかもだけど死んじゃったし死んじゃったひとは生き返らないし死んじゃったひとの記憶は聞かなかったから死んじゃったし死んじゃったひとは喋れないしでもまあ誰かがきっと守ってくれるしそれから俺サッカーとかも観ないし興味ないからぼくよくわかんないんだけどそもそも国旗てなんのために必要なのですか



rd殴られる聖母

contact Gonzo」ってパフォーマンス集団がいて集団っていうか「「痛みの哲学、接触の技法」っていう謳い文句の体現とその方法論の総称」(「六本木クロッシング2010:芸術は可能か?」カタログより引用)なんだそうでとにかくかっこいいんだよかっこよくってさ知らないひとはぜひぜひ「contact Gonzo」てコピペしてググってみてほしいんだけど去年だったかおととしだったかの「吾妻橋ダンスクロッシング」ではじめて見たんだけどそれで早速ここで脱線するんだけど浅草は吾妻橋の近くにあるあのアサヒビールのビルのうえにのっかってるあの金のオブジェだけどあれは詩人の辻征夫さんのたましいです井川博年さんの詩集『そして舟は行く』のラストにある詩篇「辻のいない世界」にそう書いてあってわたしは井川さんの詩集をもってその「辻のいない世界」で描かれたルートを順番にたどっていってさいご吾妻橋のまんなかの辻さんのたましいが見えるところで辻さんのたましいを見ながらその「辻のいない世界」って詩を朗読してみたわけ声に出してそしたら自分でもびっくりなんだけどぶわーって涙でてきてぶわーってべつに辻さんの熱心な読者ってわけじゃないんだけど涙でてきてぶわーってそれからそういえばあの隅田川って東京大空襲のときにぶわーっておびただしい死者で埋め尽くされたそうでぶわーって橋の両岸から互いにむこうへ行けば助かるとおもったたくさんの群衆がぶわーって押し寄せてぶわーってぶつかっておしあってへしあって立ち往生してやがてぶわーって炎に包まれて黒こげになって川にぼろぼろとぶわーっておっこちていったのだそうですその焼け爛れたひとの皮膚の黒いしみがいまも言問橋の橋げたにのこっているそうですそれでそうかあのアサヒビールの巨大なたましいは辻さんのたましいでもあるけれどその東京大空襲のときに亡くなったたくさんのひとたちのたましいがあそこにただよっていて忘れないで忘れないで忘れないでっていってるんだなっておもいます忘れないで忘れないでってそれで「contact Gonzo」に戻るんだけどそのパフォーマンスってのがほとんどケンカしてるみたいなんだけどでもそれが踊りのようもみえてデビッド・フィンチャーの「ファイトクラブ」って映画おもいだしたんだけどガチで殴りあうのって野蛮だけどお互い同意のうえでやってるんだったらたとえばネットで2ちゃんとかで悪口いってるよりはよっぽど健全なんじゃないかって気がするし痛みをしらないとひとの痛みもわからないわたしたちはあまりにも痛みをしらないし忘れてしまったし痛みをください痛みをおしえてください痛みをください痛みをくれよ今月号(20106月号)の「美術手帖」で徐美姫さんてアーティストが「戦争のある国に生まれてみたかった」なんて書いてて読んでどきっとさせられたけど戦争なんてしたかないけどたしかに戦争のある国に生まれたほうがよかったのかもしれないとふとおもうことが不謹慎きわまりないとおもうんだけどあたしにもあってというのは「ビルマVJ」って映画この前渋谷のシアターイメージフォーラムって映画館で見たんだけどさ渋谷から246を表参道のほうに歩いていってちょっとここでまた話が脇に逸れるんだけどこれけっこう大事な話ねこないだニュースで観たんだけど1945年5月25日「山の手空襲」というのがあってぼくは恥ずかしながら知らなかったのだけどさっきも隅田川の話の流れで話した「東京大空襲」のほうは毎年語られているのだけれどこの「山の手空襲」はなぜかあまり語られていないのだけれど都心で約3700人の方が亡くなられたそうです表参道の交差点のあたりはおびただしい焼死体の山となっていたそうですいまは表参道というと高級アパレルショップの並ぶトーキョー屈指のお洒落スポットって感じになってますけど表参道の交差点のあたりはおびただしい焼死体の山となっていたそうですそれで映画館への道案内に戻りますと渋谷から246をかつて焼死体の山となっていた表参道のほうに歩いていって青山学院大学のある側の青学よりすこし手前なんだけどスタバがあってそのスタバのところを右に曲がったところにありますシアターイメージフォーラムって映画館そこで「ビルマVJ」て映画VJっていうのはビデオジャーナリストのことなんだけど報道規制が厳しい世界でももっとも厳しい国のひとつとされているビルマ(ミャンマー)で命がけでビデオ撮って自国の凄惨な社会情勢を悲惨な窮状を国際社会に伝えるために訴えるために命がけでビデオに収めて海外に送ってるビデオジャーナリストたちのドキュメンタリー映画でそれ観て日本はつくづく平和だなーっておもってこの国でいったい俺はなにを表現していったらいいのかっておもってビルマである日突然公共の交通料金が2倍になる民衆が異議をとなえるデモを起こす民衆に対し軍事政府が銃持って威圧するデモ行進する丸腰の市民に発砲する弾丸にあたって血が流れる丸腰の市民死亡する日本のジャーナリストの長井健司さんもただそこにいたからカメラをもっていたからという理由で至近距離から発砲される血が流れる崩折れる死亡するビルマのお坊さんも捕らえられるリンチされる全身痣だらけになる死亡する見せしめに死体になって川に流される死亡しているデモに加わるだけで銃殺されるカメラもってるってだけで銃殺されるカメラは銃よりも強しってことなんだろうかペンは剣よりも今でも強いんだろうかてかかつて強かったことがあったんだろうかそれで「ファイトクラブ」に戻るけどガチの殴り合いのほうがどんなペンよりも強いかもしれなくてウディ・アレンの映画「マンハッタン」のなかに「ナチのやつらにはペンで言ってもわからないからバットのほうが話が早い」ってせりふがあるけどバットよりも強いペンがあるだろうかそれから殴りあうことがどんな詩よりも詩的なんじゃないかっておもうときがあっていずれにせよ俺たち平和な国でボケちまってて目ぇあけながら眠ってんだからその閉じた目ぇ見ひらかないとだめなんだあのなんてったっけタイヨーのトーとかつくったゲージュツ家のゲーシュツはバクハツだっていったおっさんみたいに目ぇ見ひらかないとだめなんだよだめなんだよだからだからだからだから誰かあたしを殴ってよ殴りなよ殴りなさいよ殴れっていってんだよ殴れよこのボケ平和ボケ戦争ボケ殴れボケあたしを殴れボケボケボケてるあたしを殴れ殴れ殴れあたしを殴れあたしあたしを殴れ殴んなよ殴れよ殴るとき殴るべし殴れば殴れ殴るんだ殴れ殴れ殴れ殴れ殴殴殴殴殴れあたしをおまえのルサンチマンの限りのあんたのルサンチウーマンいやみんなルサンチパーソンのすべてのおまえが一人の一個の一発の一万発のルサンチマンになって殴れルサンチマンルサンチウーマンルサンチパーソン殴れ殴れ殴れあたしを殴れ殴れっていってんだよあたいを今すぐそっこー殴らないと殴れ殴れよ殴れば殴るとき殴れ殴れ殴るおまえの手の痛みが芸術だ殴られてはじめて考えられることがあるんだそれより考えるまえに感じたいんだ感じるよりも早い痛みそうだ痛みだ痛みなんだ痛みをしりてんだ痛みをくれよ痛み痛みなんだ痛み痛みだぜ痛み痛み痛みをくれよくれくれよ痛みくれ痛ったいよまままじで殴るやつがあるかよ痛てー痛ってー痛いよおやめろよやめんなよやめれやめんな殴れもっと殴れ殴打しろ殴打だよ嘔吐してんじゃねーよいいからもっと殴れ殴れ殴んなさいよMってわけじゃないぜMなのかもだけどむしろMはマリアさまのMですわたくしにどうか痛みをください痛みをお与えくださいあーめんあのひとの痛みをみなさまの痛みをみなみなさまのあの子たちのあの国の痛みをあのときの痛みをあのときのあの子たちの痛みをあーめんわかるようによりおおくのいのちのかたがたのなくなられたかたがたの痛みがわかるように殴りなさいわたくしをお殴りなさいあーめんわたくしの右の頬も左の頬も右の鎖骨も左の鎖骨も右の踝も左の踝も右の乳房も左の乳房も右の喉も左の喉も右の背中も左の背中も右の腿も左の腿も右の耳も左の右も右のふくらはぎも左のふくらはぎも右のかかとも左のかかとも右の鼻も左の鼻も右のこめかみも左のこめかみも右の目も左の目もわたくしの右の左のありとあらゆるわたくしの右の左の部位を殴りなさいあーめんあーめんお殴りなさいあーめんそうして生まれたあなたの手の痛みがあーめんあなたがたの手の痛みがわかるようにあなたの手が痛むまでさあわたくしを殴りなさいあーめんあなたの手が痛むまでお殴りなさいそうして生まれた消えない痛み消せない痛み痛みをあーめんその痛みを痛みこそをわたくしは芸術と呼ぶのですあーめんですからいまからはげしくあなたわたくしを殴って殴ってお殴りまくってどうかわたくしをどうかどうかどうかお殴りたおしていただけますでしょうか(無数の手に殴られた顔が身体が二倍にも三倍にも四倍にも五倍にも六倍にも七倍の七十倍にも膨れ上がり息もたえだえで地面にニアイコール死体のごとく横たわる聖母Mをなおも執拗に殴りつづける沈黙S

 



※本作品は六本木・森美術館にて開催中の「六本木クロッシング2010:芸術は可能か?」(開催中~7/4[]迄)を訪問して、そこで得られたインスピレーションやイマジネーションによって制作されました。



カニエ・ナハ

詩人/しかきびと/現代美術家/スイーツを一篇の詩として味わう会・副会長

2010年「ユリイカの新人」(選/伊藤比呂美)※小野絵里華さんと同時選出

現代詩も現代アートも映画もマンガもJ-POPも作者の日常生活もごった煮の雑食系ブログ「カニエ・ナハのよかったさがしノート」随時更新中! URL:http://nekotree.exblog.jp/


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1 コメント “殴られる聖母M、あるいは「芸術は可能か?」と問いかける夜に浮かんだ3つのクエスチョンマークを帰結とする3つのセンテンスそして1つのエクスクラメーションマーク(…やがて沈黙S”

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