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四次元戦争論 1.5章
超越と無~人為的滅亡の機能を善用するために~

及川 俊哉

 先月の六本木詩人会に掲載した「四次元戦争論 第一章」は、二〇〇七年に詩誌「ウルトラ」に掲載したものであり、三年が経過してしまった。この間に関連する文章を記述したものがあったので、読者に私の考えをお伝えする助けになればと思い、ここに訂正の上再掲する。なお、第二章に引用する予定で読み進めていた書物の要約文を、来月からの六本木詩人会に掲載したいと考えている。及川)

 「自然」の対立概念は何ですか?という問いには、「人工」と答えるように学校では教えます。しかし、今のように機械が身のまわりにたくさんあふれるようになる以前には、「自然」の対立概念は「超越」だった時代が長かったのです。約三千年ほど前の古代イスラエルを中心として、唯一神を自然と隔絶した超越神だと考える文化が生まれました。この事情を鈴木秀夫は次のようにまとめています。

   農耕地帯と砂漠の間の半乾燥地帯で、おそらく山羊と羊によって生活していたであろう遊牧の民イスラエル人は、カナンに入った時までに、すでに唯一神を崇拝していた。この神は、半乾燥の地に雨をもたらす神であり、雷を伴う神であり、時としては激しい雨によって破壊をもたらせる神であった。そしてその神は人の力のとどかない遠くにいて、雷鳴とともに近づいてくるものであった。それは、自身の意志によって不可知的、、、、に働く力であり、人間の理解できる秩序の神、、、、ではなかった。
   (『超越者と風土』鈴木秀夫「第六章 カナンとイスラエル」一九七六)


 ユダヤ的一神教において神と自然世界は「創造―被造の関係」にあり、両者は全く隔絶しています。そして関係がもたれるときは神のがわからの一方的なものでしかありません。人間の生死の運命のような個別的なものから、世界の初めと終わりのような宇宙規模のものに至るまで、その生殺与奪の権は唯一の超越的な神の意志に委ねられているのです。なかなかこのような信仰文化はわかりづらいものですが、たとえば、作物の収穫や子孫の誕生は神の恩寵によるものであり、感激や感謝や安堵の感情を信仰者にもたらすようです。一方で人生の苦境や耐えがたい困難に陥った時は、ある種の苦痛を伴う諦念のようなものをにじませてこれをこらえるという態度を生むようです。これは、たとえば旧約聖書の「ヨブの問い」や「伝道の書」の「くうくうくうくうなるかなすべくうなり」などという表現から見てとれます。

 こういった超越神の概念は日本のような多神教の文化からは非常にわかりにくいものです。また、キリスト教はこれらの超越的一神教のなかでも「神の子が人間の肉体を持って生まれてきた」という点が非常に特殊です。もちろんこの考え方がキリスト教のいう「アガペー」を考える上でとても大事なのでしょうけれども、単に超越神という考え方を理解したい、という立場からは論理が複雑すぎます。ユダヤ教やイスラム教のように「人の力のとどかない遠くにいて」、一方的に生殺与奪を決めてくる神、という考え方のほうから先に理解していくのが段階的理解のためには妥当なようです。

 さて、話を今回のテーマにもどしていきます。超越的一神教がつねに抱いている「世界の被造物性」という考え方が、「無」ととても通底するものをもっているのです。
 超越的一神教の信仰では、滅亡は神によって突然にもたらされます。なぜなら世界を創造した神にとってこれを破壊することは全く自由だからです。創造したものを破壊することは神の意志によるものであって、被造物である人間の意志は基本的に顧慮されることはありません。ある意味では人間は神にとっての木偶であって、その意志を尊重されるものではありません。尊重されるべきなのは神の意志のほうだからです。

 さて、私はいま超越的一神教の信仰の伝統にしたがって、「滅亡」を自明のものとして説明してきました。しかし、ほんとうは私自身にとっても、この「滅亡」という考え方はとても奇妙で、理解するのに難しいものです。この問題をどう考えればいいのか、整理づけてみましょう。

 超越的一神教の信仰は「誰が(神が)」「いつ(いつなんどきでも、世の終わりに)」「誰を、何を(人間を、世界を)」滅ぼすということについては説明します。しかし、「滅亡とは何か?」という問いにはうまく説明を付けていないように思うのです。この、「滅亡とは何か?」という問いに、非信仰者の側から有益な説明を与えることはできないか…というのが私が課題として抱いているテーマです。  

 もちろん信仰者にとっては「滅亡とは神の怒りである」などという答えがあるのでしょう。しかし非信仰者にとっては、神の行いに神の感情を持ちだして説明されても納得することはできません。超越的な問題に超越的な解答を持ち出されても信仰者以外には理解できません。超越的な問題を、我々人間のがわから理解することができるような、そのような解決はないものでしょうか。言いかえるならば、滅亡は人間にとってどのような・・機能を果たしているのか、それを超越的な存在を持ち出さずに理解することはできないか、ということを私は考えたいのです。

 私はこの問題に個人的な固執があり、長い間――もう二十年近くにもなります(!)――考えを暖めてきました。具体的には「四次元戦争論」というタイトルで「ウルトラ」誌上において論を展開していますが、いまは必要なポイントだけを述べます。

 現在、滅亡には二つの種類があります。一つは「自然的な滅亡」です。これは大災害などによるものです。二つめは「人為的な滅亡」です。これは、核兵器などの大量破壊兵器によるものです。

 次に、滅亡には不可知性の問題があります。人間が全員死亡することが滅亡です。個々人の人間は自分自身の死を認識することはできません。子供がよく冗談に議論する話ですが、死の瞬間を知ることができるうちは人間はまだ死んでいないわけですから、パラドックスになります。個々人の死の全集合が滅亡だとすると、人類は自分自身の滅亡を認識することはできません。

 以上二つの要素を総合して考えると、現代の人類は自ら自分自身の認識能力を超えた不可知なものを招来する技術を得ていることになります。つまり、人類は実は科学技術によってこの自然世界の中に「超越」を招き入れる能力を知らず知らずのうちに得てしまっているのです。

 キリスト教徒はキリストの誕生を超越が自然世界の中に侵入した奇跡と考えます(イスラム教ではそうは考えず、イエスは単に神の言葉を伝えるのみのただの預言者だとされています)。それに対して、二千年後の我々は「超越」の自然世界への侵入を人為的に引き起こすことができるのです。むろんキリストの誕生がキリスト教徒にとって神の愛の証であるのに対して、大量破壊兵器による超越の侵入はまったくの虚無の現出です。その意味では「負の超越の侵入」であるということができるでしょう。しかし、人間の理性を超えたものが自然世界に侵入するという意味では、両者の超越としての意味は同じことです。

 さて、このような空前絶後の事態を、どう考え、どう対処すべきなのでしょうか。その・・機能を、うまく理解し、善用する方法はあるのでしょうか。一般的な対処法をここで述べるのは難しいので、「四次元戦争論」にて展開します。ここでは、ひとまず詩を含む芸術表現と「負の超越の侵入」の関わりについて述べておくことにします。

 およそ歴史的に優れた芸術表現は、作者が意図するとせざるとにかかわらず、その時代に特徴的であり、また時代を限界づけている難題アポリアに挑戦しているものです。解答が出せるか否かではなく、挑戦した痕跡を残しているだけでも作品の価値は高いものになります。

 その意味では、現代の芸術作品は「負の超越の侵入」という難題に挑戦するべきなのです。世界の人為的な滅亡という問題は、ほぼ人類の営為の中では最大にして最後的な課題であり――途方もないものに思えますが、これを避けて現代の芸術としての表現は成り立たないと思います。ある意味では、オウム真理教の事件も酒鬼薔薇事件もこの問いに犯罪という形で答えようとしたものだと考えることもできます。犯罪の方がときおりその時代の要素を色濃く反映するということは言えます(もちろん短絡的で非倫理的なものですが)。

 したがって「今の若い人たちの詩は無だ」と言われた場合、自然が描かれない、書きたい意図がはっきりとわからない、といった小さなレベルでの指摘だとは考えない方がいいのです。ここは思い切って、「負の超越の侵入」を描く意図を持って批判的に虚無を描いている、と言いきってしまえばいいのです。若い詩人たちは世界の滅亡と拮抗する無を描いているのだ、と言えばいいのではないでしょうか。もっと言えば人類全体の実存を問うために虚無とがっぷり四ッに組んで作品を書いているといえばいいのです。少なくとも私はある種の作品はそのつもりで書いています。他の若い詩人と呼ばれる人たちはそうではないのでしょうか?

(小島きみ子氏主催の詩誌「エウメニデス」http://eumenides.sakura.ne.jp/eu/34号 2009年6月に掲載されたものに訂正を加え再掲する。)


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及川 俊哉(おいかわ しゅんや)
1975年岩手県生まれ。現在は福島県在住。
2005年、12月23日、は東京駅「銀の鈴」前で突如として「ウルトラ」2代目編集長に任命され、現在に至る。
2009年 詩集『ハワイアン弁財天』(思潮社)発表。

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1 コメント “四次元戦争論 1.5章  超越と無~人為的滅亡の機能を善用するために~”

  1. [...] This post was mentioned on Twitter by M31. M31 said: 六本木詩人会のHPに「四次元戦争論1.5章」を掲載していただいています。http://www.roppongi-shijinkai.net/20100416-1135.html(PR:『ハワイアン弁財 [...]

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