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不滅の海

城戸朱理


誰かと出会うように橋を渡るなら
時間も昨日あたりから止まったらしく
紅葉に彩られた山々は まるで
一幅の絵のようだ
自然がありありとしたところでは
人は、うずくまるように暮らし。
ときおり、水を争ったりもする
ひそやかなところだけをまさぐりあうように
川は衰え。

生まれということは、
死にゆくことにほかならない。
そう気づいたときに
人は生きている証を求めるが
それは 求めるほどに遠ざかり
探すほどに隔たって
何を問うたのかも忘れたころに、
あまりに明らかな証が訪れる
きっと、何の予兆もなしに。
何かを為したのが悪だったのか
それとも、何も為しえなかったことがいけなかったのか?
人として「現象」していると
どうしたことか、
母になりうるものと
母になりえぬものが出会って
母になりうるものか
母になりえぬものが生まれるが、
そのどちらかであることではなく、
この水に恵まれたくに
生をうけたことが過誤の始まりだったのか?

今日もまた、死者のすすり泣きが聞こえる

今なお、死者のすすり泣きが
聞こえるという「旅人の墓場タクラマカン」に
今日も、ただ影を深くするためだけのように陽は落ち
無限に等しい砂の圭角を研ぎ澄ましては
冴え渡らせていく
ここに立つならば、彼方まで見渡すことができるのに
人は、何も見ることができない
ただ砂、
そして砂の平原が広がって
どちらを向いても、いささの違いも語りえぬ
縹渺ひょうびょうたる景色が広がっているばかり――

不毛の砂漠を、人はなぜ耕すのか?

絶え間なくうねり咆哮する砂の海
ひとたび足を踏み入れたならば二度とは出られぬ
死の結界、
このタクラマカンの中央に
マザーターク山脈は位置している
標高一万三千四百メートル その山頂には、
いにしえの帝国の城塞の遺跡が残り。
ウィグル族が聖なる山と呼ぶ、
その山頂から、見渡すことができるのは、
ただ刻々と姿を変える砂の海ばかりだという。

不滅の海。

この地上で、河川という河川が
海に流れ込むことを止めたなら
海も、いつかは枯れ果てるのだろうか
この砂漠もまた、
光と影が織り成すうねりと波のなか、
海の比喩としてあって、
比喩は比喩のまま、
決して本性をあらわす日は来ない。



(『幻の母』連作の。『源流考』改題)



城戸 朱里(きど しゅり)

Shuri Kido
1959年、岩手県盛岡生まれ。20歳で「ユリイカ」誌新鋭詩人に選ばれる。その後、田野倉幸一・広瀬大志・高貝弘也らと同人誌「洗濯船」を刊行。
詩集に『召喚』『非鉄(ひてつ)』『不来方抄(こずかたしょう)』『夷秋(いてき)~バルバロイ』『千の名前』『地球創世説』、選詩集に『モンスーン気候帯』『現代詩文庫城戸朱理詩集』があるが、現在、単行詩集は売り切れのため、あらかたが版元在庫切れ、新詩集『源流考』『世界―海』『漂流物』を準備中であり、『地球創世説』重版の計画もある。
翻訳に『海外詩文庫 パウンド詩集』『パウンド長詩集成』『T.E.ヒューム全詩と草稿』がある。さらに『T.S.エリオット詩集』の翻訳を終え、刊行待ち。ウィリアム・ブレイク『天国と地獄の結婚』も刊行を考えたい。
詩論に『潜在性の海へ』『戦後詩を滅ぼすために』、近刊に『都市の文書』、さらに4冊目の詩論集となる『アンティ・コスモス』の原稿も、ほぼ完成しつつある。
エッセイに『吉岡実の肖像』、野村喜和夫との共著『討議戦後詩』『討議詩の現在』も、さらに『討議近代詩』として展開中である。
刊行予定は多数あるが、ほかにも文庫・新書の書き下ろしを抱えているので、連載原稿の合間を縫っての時間配分に苦闘中。
CS放送のアート・ドキュメンタリー番組「Edge」の企画・監修、女子美術大学大学院・早稲田大学理工学術院講師もつとめる。

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