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「文」と「武」の合一

國米隆弘


 年頭にあたって、私自身の詩との邂逅を語ることとし、来る世界への到来としたい。もっともこれは私の独り言であるが、自身の詩のあらわれを披瀝するに至っては、本会の趣意に賛同するものと大いに信ずるからであり、畢竟、私が物を書く上で欠くべからざるレゾンデートルであるため、諒とされたし。

 私が胸裏に芽生えた蘖のようなものを物したのは高校進学時のことだから、十五歳のことである。それまでの私に「文」などなかった。もし文武といえば、「武」のほうが最初にあった。ならば、「武」から「文」への転向は如何にして成されたか。

 幼少期から喘息もちで繊弱だった私は、父の関係者に五輪選手がいたこともあり、三歳にしてフィギュアスケートの選手養成クラスに入れられた。物心がつく前から殆どの時間を氷上で過ごしてきた私にとって、朝錬に夜錬と、スケートを中心とする生活様式は一般的な同年代の人達とは異質なものであった。その生活は個人的集団的規律よって動かされ、一切の妥協も許されぬ巡礼とでもいうべきもので、肉体と精神の鍛錬を主とするのが日課であったから、文弱の徒との縁もなかったと言ってよい。しかし美意識の涵養というこの地点において、フィギュアスケートは音楽と舞踏のめくるめく世界であった。ここで私は身体と律動の完全な整合を教わり、訓練と所作の守破離のみならず、スタティックな闘争の何たるかを知るなどの、徹底とした選手としての薫陶を受けた。国内の主要大会と海外大会に出場し、早くに西欧に遠征したのも無関係ではあるまい。

 俗に、スポーツは所詮娯楽である、和やかにやりましょうという文句を私は信じない。雌雄を決するところに哄笑はない。そして戦いもまた舞台裏に始まる。海外に遠征したさい、各国選手団は招待国の宮殿さながらの絢爛たる建造物で歓待を受けたが、けだしこの醸成されたムードは友好的なものでは断じてなく熾烈な闘争前夜の如才なき愛想であることを、私はすかさず察知した。今でも忘れられないのが、バス車内での出来事である。あるロシア人は私の目の前に立つなり剣幕に捲くし立てたのだが、堂々と誇らしげに何かを訴えているようでもあった。私はここに国家を背負うものの矜持と、友好の無効性、絶対的他者との相反を嫌というほど味わった。スポーツに夢想した幻想が私のなかで脆くも崩落し、身をもって私がコミットしたのは仮借なき戦争であると解したのである。私は敗北者となる恐怖と絶えず戦わなければならなかった。しかるに全身で浴びたのは幾度だろうか、敗北者としてタラップを降りる堪えがたい含羞と屈辱――敗北者の流儀を。

 青春は人生にとって最良の教師である。氷上での日々は孤独と忍耐の修験場であった。張り詰めた霧のなかで敵対するものも等しく自身の吐く息だけを追うのだ。絶えず私は内面を脅かす邪念を払拭しなければならない。そこには、あらゆる人間たちの喝采も冷罵も入り混じる。厳然たる優勝劣敗の世界ほど孤独なものはないのだ。私は知らぬ間に大人たちに混じってシニシズムを皮膚に培養してしまった。とまれ、かかる経験が私の精神形成に与えた影響は計り知れない。

 かくして複雑な思春期特有の内省と葛藤こそ、私に文章を書かせた最初の動機と言えるが、一方で父のお陰というのもある。小林秀雄が好きな父のもとで育った私の周囲には古今東西の文学書があった。こうした環境下にあって、私が文を物したのも必然の成り行きだったかも知れぬが、おそらく父は一般の家庭環境とは異なる生活を憂い、どこかに私の心情を探りたかったというのもあろう。私自身もまた作品を父に見せることで心細くも胸中の理解を得たかったのだと思う。

 芸術への激しい渇仰が生じ、次第に古人の作品世界に沈淪したのは、人生の岐路に立たされたハイティーンも終わりであった。そのころ上野の国立西洋美術館でウィリアム・ブレイクの絵画の前に時間を忘れて立ち尽したのを思い出すが、無論こうした芸術への傾倒は、私のなかで積み上げてきた崇高なピラミッドへの背信行為と表裏一体であったのは言うまでもない。私が信仰に対するアンビヴァレントな危機を自己の中心に据えなければならないのも、かような事情によるのだ。ブレイクのみならず西洋芸術に垣間見える宗教的葛藤に、私は追放と漂泊の自己を投射していたのである。

 ところで、十八になるまでの文章は親しい友人に見せてはいたものの、これといった文学的知見も技術もなく全くの感覚の産物であり、取り立てて芸術への世人の抱く憧憬もなかった。しかしある時期、私のなかで最も内密で深刻な危機を通過したことで、創作に相対する何もかもが決定的に変化した。それによって私は自身の芸術的運命を覚悟し、己が人生の求道による真意を得たのである。

 ここで私は芸術を実践の謂でなくてはならないとするものである。これまで得たもの失ったもの、これからの人生がどうなるかわからない、が、己の人生しか生きられぬならば、それと心中するつもりで書こうと、私は思った。叙述ではなく述志そのものとしての人生を綴ろうと、二十歳を目前に見定めたのである。まだまだ齢も二十五の私が宿命を見定めたなどというのも可笑しなことだが、いな、それゆえに先人方の轍を己の腹蔵に収め、あまねく甘美に浸ることが許されてある。読書が人生に及ぼす重大な一時期というのは三十路過ぎれば二度とないであろう。若き日の苦い泥を吸い上げてこそ蓮華の花はうつくしく咲くのである。こうした意味では、私は文武を等値と看做しているのかも知れない。「武」から「文」への転向は、いまや巡りめぐって文武合一を成したといえる。


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國米 隆弘 (こくまい たかひろ)

1984年2月14日生まれ。
2009年『プトレマイオスの生 あらゆる歴史的転換の信仰からの超克』(思潮社)


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