あれは4年前だったろうか。
あるイベントで、吉増剛造は朗読のあと、「もう、詩は書けないかも知れないなあ」と呟くように語り、聴衆を驚かせた。
私もそのひとりだったのだが、宣言というには、あまりにひそやかな呟きだったとはいえ、断筆宣言に聞こえなくもないその発言は、少なからぬ人を戸惑わせたのは間違いない。
それ以降も毎年のように新刊が刊行されていたので、停滞感こそなかったし、気づかない人も多かったのではないかと思うが、実際、吉増剛造の新作は、それから目にすることができなくなっていった。
しかし、詩人はその詩的沈黙の時期にも、別のかたちで「詩」を探し求めていたことが明らかになる。
それが形になったのが、昨年、刊行されたDVDブック『キセキ』だった。
そこには様々な対話とともに吉増剛造が撮りつづけた映像作品、GOZO CINEがDVDに収められていたのである。
GOZO CINEとは何なのか?
吉増剛造がかつて映画少年だったことを語っていることと、映像作品ががCINEと名づけられていることから、それが映画を志向するものであることは疑いを入れない。しかし、それはいわゆる映画とは、むしろ隔たりを生きるようにして撮られたものである。
そもそも、映画を映画たらしめるところの編集という作業を欠いた映像作品を、どうして映画と呼ぶことが出来るだろうか。
このGOZO CINEについて考える恰好の機会が訪れた。昨年の7月24日、女子美術大学大学院で吉増剛造氏を迎えて、GOZO CINEの『キセキ』未収録の作品の上映とトークが高橋世織氏の企画で催されたのである。
このとき上映されたのは『キセキ』にも収録されている「まいまいず井戸」のDVDブック未収録の最後に撮られた一篇や「恐山」、そして「大湯の環状列石」など。撮影の場所として選ばれていたのが、いずれも常世(とこよ)への入口のような気配を帯びた土地ばかりだったのが、印象深い。しかし、それ以上にまいまいず井戸や恐山が地下へとえぐられた場所であり、そこに螺旋を描くように降り立っていく詩人の目は、下降することによって不可視のものに触れようとしているかのようだったことが、さらに深く印象に残った。
カメラを回しながら、詩人はつねに何かを語りつづける。
しかも上映しながら、さらに吉増剛造は様々なことを語るので、映像のなかでの言葉に現場での言葉が重層化し、言葉が映像に落ち葉のように折り重なっていく。
パウル・ツェラン、ジョルジョ・バタイユ、ジョン・ケージ、そして柳田国男・・・。吉増剛造は様々な声と思考を呼び込むのだが、それは、あたかも言葉が映像の襞と化していくような経験だったと言っていい。
その意味では、映画のポスト・プロダクションのひとつの形を示す試みであり、吉増剛造は自らの試みを写真から発展した映画ではなく、「教室から生まれてきたようなCINE」、そして、GOZO CINEを上映することを「光に触れに行くような教室」と語ったのだった。
高橋世織氏は、吉増剛造の詩における「言葉の予祝性」、すなわち、詩人が投げかけた言葉が、世界に生起する出来事に先駆けて世界への祝福となっていることを語ったが、これは吉増剛造のみならず、詩の本質を語るものでもあったと思う。
さらに高橋氏はカメラが発明されてから160年がたつが、いまだに撮られていないものが世界の80%に及ぶことを指摘したが、吉増剛造のGOZO CINEが、いまだに撮られたことがないものを写し出そうという試みであることは言うまでもないだろう。
小津安二郎やアレクサンドル・ソクーロフなど映画作家をめぐる著作もある言語哲学者、前田英樹氏は、映画監督の仕事を「写るものを減らしていくことだ」と語ったことがある。その意味するところを、ここで十全に語る余裕はないが、つまり、映画監督は画面に映るものを減らすことによって、映像的な主題を明らかにしていくのだと考えることができるだろう。
ところが、GOZO CINEは、まったく違う。そこでは、写るものを減らしていこうとする意図はまったく見当たらない。むしろ、カメラを向けたものすべてを写そうとしているかのようでもある。それは、映像の無意識そのものを映像化しようとするかのようでもあり、GOZO CINEとは、あたかも世界のフロッタージュのように立ち現れる映画の試みなのだと言えるのではないだろうか。
追記/吉増剛造氏によると、もう詩は書けないと思ったところから始まったGOZO CINEは、3本目の「まいまいず井戸」を撮影したときに、これで十分だという思いが湧き上がってきたそうで、それと同時に、再び、詩の言葉が動き出したのだという。「まいまいず井戸」とは東京の多摩地方、武蔵野台地に見られる掘り下げ式の井戸で、その形状がかたつむりの殻を思わせるところから、そう呼ばれるようになったもので、「まいまいず」は多摩地方の方言で「かたつむり」のことである。多摩が詩人の故郷であり、「老詩人」(『草書で書かれた、川』所収)などで明らかなように、吉増剛造の詩的風土の根源でもあることを思えば、映像作品も多摩から始まり、多摩で終わったことは、なかなか興味深い。それは、言葉とは別のかたちで、もういちど自らの詩的根源を探ろうとする試みでもあったのだろう。ともあれ、これからは、また氏の新作に触れることができるようになるであろうことを、ここで御報告しておきたい。
吉増剛造~光の教室
城戸朱理
城戸 朱里(きど しゅり)
Shuri Kido
1959年、岩手県盛岡生まれ。20歳で「ユリイカ」誌新鋭詩人に選ばれる。その後、田野倉幸一・広瀬大志・高貝弘也らと同人誌「洗濯船」を刊行。
詩集に『召喚』『非鉄(ひてつ)』『不来方抄(こずかたしょう)』『夷秋(いてき)~バルバロイ』『千の名前』『地球創世説』、選詩集に『モンスーン気候帯』『現代詩文庫城戸朱理詩集』があるが、現在、単行詩集は売り切れのため、あらかたが版元在庫切れ、新詩集『源流考』『世界―海』『漂流物』を準備中であり、『地球創世説』重版の計画もある。
翻訳に『海外詩文庫 パウンド詩集』『パウンド長詩集成』『T.E.ヒューム全詩と草稿』がある。さらに『T.S.エリオット詩集』の翻訳を終え、刊行待ち。ウィリアム・ブレイク『天国と地獄の結婚』も刊行を考えたい。
詩論に『潜在性の海へ』『戦後詩を滅ぼすために』、近刊に『都市の文書』、さらに4冊目の詩論集となる『アンティ・コスモス』の原稿も、ほぼ完成しつつある。
エッセイに『吉岡実の肖像』、野村喜和夫との共著『討議戦後詩』『討議詩の現在』も、さらに『討議近代詩』として展開中である。
刊行予定は多数あるが、ほかにも文庫・新書の書き下ろしを抱えているので、連載原稿の合間を縫っての時間配分に苦闘中。
CS放送のアート・ドキュメンタリー番組「Edge」の企画・監修、女子美術大学大学院・早稲田大学理工学術院講師もつとめる。















