習慣
ジェーン・ハーシュフィールド
靴は履くたびごとに
左足がさき、右足があと。
朝お茶に砂糖を加えるときティースプーンを
かきまぜる回数はきまって
七回――それ以上でも以下でもありません
ふちの欠けた青いカップに入れるのです。
ドアを閉めるまえには、ポケットにさわって確かめます
財布はもっているか
鍵はもっているか。
こんなささやかな儀式が約束することを
どうしてわたしたちは信じるようになったのでしょう
今日の自分は昨日の自分が知っていた自分で
明日もそうなるだろうと。
なんと親密で無意識なことでしょう
歯を磨いたあとに乾かすときの歯ブラシの振りかた。
お風呂にはいったとき最初に洗うところ。
どれが他人からまなんだ習慣で
どれが自分自身の習慣なのか わたしたちにはけしてわかりません。
認めることなど耐えがたいのです
習慣自体がどれほどわたしたちの定めある人生を占めているのか。
旅行用のスーツケースをひらきなさい――
そこにあるのは愛用のセーター
ネックレスのもつれた輝き、琥珀のイヤリング。
ひとつひとつが裏づけてくれます これを選んだのはわたし、わたしなの。
でも習慣は違います それが選ぶのです
そしてわたしたちは、忠実な馬
轡を目にしたとたんに 口をひらくのです。
(ジェーン・ハーシュフィールドの詩「習慣」(Habit)を拙訳で紹介させていただいた。この作品は、2001年に出版された彼女の第五詩集『砂糖をたされ、塩をたされて』(Given Sugar, Given Salt)に収められている――山内記)















