川にテレビを捨てに行く。
昨日は子供を捨てに行った。
まだ食べられる野菜も
食べられる肉も
毎日川へ捨てにいく。
そうして部屋を空っぽにして
過ごしたいけど、捨てても捨てても
買った覚えのないものが増え
私が私でなくなっていく。
時々なにげに聞いてまわると
誰も彼もがそうだという。
大人になったら、当たり前だと。
同期の女の言うことには
旦那はちっとも捨てないから
私が私のままになってしまって
だからもう
別れるのだという。
私は夜な夜な川に出かけ
何から何まで捨ててくる。
誰にもみつからないように
海が綺麗になることを願い
自転車とかポリタンクとか
人形なんかを捨てに行く。
それらが川に落ちる音を聞くと
よいことをした気になって
安心する。
そういう気分のまま家に帰る。
大事なことは
帰り道では迷わないこと。
迷ったら最後
二度と部屋には辿り着けない。
川べりで一生を過ごすことに。
別にそれでもいいのだけれど
寧ろその方がいいのだけれど
帰り道は忘れられない、迷わず行き着き
ものの溢れる部屋に飛び込み
真ん中に、座り込む。
出掛けたときよりものが増えてて
川底よりも息苦しい。
子供はもう大分捨てたはずなのに
また増えている。
死んでしまった子もいる。
そうしたら匂いになって残り
ある段階を過ぎたら、見えなくなり
音もなく、一艘の船が近づいてきて
子供をここから引きあげていく。
盲目であることが、私の唯一の救いである。
子供を引きあげてくれる者の顔
その顔を、私はむかし
教科書で見たのだったが
もうたくさんだという顔をしていた。
私はその顔をずっと信用しなかった。
なのに結局はそういう顔に
最後は引きあげてもらうしかない。
(初出 ポエームTAMA66号)
顔
小川三郎
小川 三郎(おがわ さぶろう)
神奈川県生まれ。
2002年から2005年までの間、現代詩手帖投稿欄に詩を投稿。
以後、第一詩集『永遠へと続く午後の直中』、第二詩集『流砂による終身刑』を思潮社より刊行。
『ルピュール』同人、『酒乱』同人・編集委員。















