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詩における身体論の可能性について その2

及川俊哉

 前回は、私は大略2つのことを述べることができたと思います。
 一つは、「身体のOS(文化的な身体の制御法)」の多様性についてです。ヘリウム・フープの例で述べましたが、物質としての解剖学的な身体が一義的なようには、身体のOSは一義的ではないのだといえます。
 もう一つは、野村喜和夫のエッセイを引用しながら展開した詩とダンスの類似性です。これは、詩と身体について語ることが、それほど突飛なことではないことを読者のみなさんに提示するために述べたつもりです。今回、私は詩と身体をより近接させて論を展開していきたいと思います。野村のエッセイから引き出した詩とダンスの類似点は、「無目的性」「権力への批判性」「多義性」でした。これらが共通するのは、詩とダンスが現代の表現として、もっぱら人間の自由を希求する気持ちを表現することをねらいとしているからだといえると思います。
 今回は、これらの点を踏まえながら、より深く詩と身体の関わりを探っていきたいと思います。
 書家の石川九楊は文字の発生と人間の言語表現の変化について次のように述べています。


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 人間の言葉には大きく分けて話す言葉と書く言葉、すなわち「はなしことば」と「かきことば」があります。
 当然のことながら、長い人類の歴史においては文字のない時代があり、また現在においても、文字を持たない民族・部族もあることでしょう。あるいは、現在の我々も日常生活の過半は「かきことば」なしに大半を過ごしているともいえます。したがって、人間にとって最も本質的な言葉はあくまで「はなしことば」です。ところが人類は、歴史のある段階で「文字」を獲得しました。といっても、二百万年を超える人類史から見ればごく最近のことで、中国でいえば今から三千四百年ほど前(紀元前一四〇〇年ごろ)の殷の時代であり、エジプトやメソポタミアでもせいぜい四千年から四千五百年ほど前のことです。
 しかし、文字を獲得することによって、人間は飛躍的な広がりと加速度的な速さで、文明というものを築き上げました。そのことの功罪はむろんいろいろとありますが、人類はその恩恵を受けつつ現在にいたっています。そのため、「人類が文字を獲得し、物事を記録するようになった時代以降が歴史である」と考える人もいます。言うまでもなく、人類は文字獲得以前に長い長い歴史を持っています。しかし、文字を獲得して以後の飛躍的な展開を考えるとき、「歴史は文字とともにある」と考える立場があっても不思議でないくらい、文字=「文」というものが人間にとって画期的な意味をもつことは間違いありません。
 それでは、さかのぼって文字を獲得する以前の人類は、「話す」ことはしたけれども、「書く」ことはしなかったのでしょうか。これについて、一般には音声言語(音声によって表される言語)はあったが、文字言語(文字によって表される言語)はなかったとされています。「文字」の有無を指標とする限りは、そういうことになるでしょう。しかし私は、この音声言語と文字言語を、「話す(はなす)言葉」と「書く(かく)言葉」と置き換えて考えてみます。
 まず、「はなす」とはどういう行為でしょうか。これは、人間が身ぶりや手ぶりなど自分の身体や、あるいは口から発する音声を用いて、一つの表出や表現をすること。身体や音声を通じて意識を「放す」ことであり、「離す」ことであり、そして「話す」ことです。要するに、自分の身体を用いてじかに表出、表現する行為はすべて「はなす」ことの範疇に含まれる――そう考えれば、「はなす」ことが人類の誕生とともにあったこと、また「話す」ことが身ぶりや手ぶりや表情とともにある、否、ともにしか有り得ない理由が納得されるでしょう。
 次に、「かく」はどうでしょうか。たとえば、石や木を「引っ掻く」と、そこには何らかの図形が生まれたり、あるいは模様ができます。あるいは、同じく石や木を「欠く(欠かす)」場に、石や木の彫刻ができあがります。また、「描く」ことによって絵画のような表現も、画く(区切る)表現も生まれます。むろん文学や書は「書く」表現です。これらの「掻く」「欠く」「描く」「画く」「書く」のすべてが「かく」ことに含まれると考えれば、これもまた人類の誕生とともにあったはずです。鋤をもって土を「掻き」耕す(CULTIVATE)農耕はその原型と言え、そこからCULTURE(文化)の語も生まれたと考えられます。
 このように、「はなす」ことと「かく」ことはいずれも、人類が誕生して以来の歴史とともにあったわけです。
では、「はなす」ことと「かく」ことの違いはどこにあるか。それは、「かく」ことが道具を持つという点です。当初は石片や木ぎれであったことでしょうが、筆記具を持つ、あるいはずいぶん下っては金属の鑿を持つ。道具を用いて石や木などの対象に「かく」(掻く、欠く、描く、画く、書く)。それによって、その場に何らかの痕跡を残すというかたちで表現していく――「かく」ことは、このようにして、無文字時代という長い時間の経過のなかでも積み重ねられていきました。
 そして、そのような「かく」ことの長い歴史の中から、あるとき、いちばん古い例でいえば今から三、四千年前に、「文字」が生まれたのです。
 ここで忘れてならないことは、「書く」(文字)とはもともと、「かく」ことのなかの一つの形態であるという事実です。「書く」(文字)は、「かく」ことの範疇に含まれる他の表現、たとえば「描く」(絵画・文様)や「欠く」(彫刻)などと密接な関係を持ちつつ、全体として「かく」という表現世界を形成していました。それが、「文字」ができ、「書き言葉=文」が成立したとき、絵画や文様や彫刻は「書く」(文字)ことから離れて、「描く」や「掻く」「欠く」などのそれぞれの表現として独立していったのです。これは「はなす」についても同様です。「文字」ができたことで、それまではある種の音楽や舞踊に近かった言葉が、明確な語彙と文体をもった言葉になり、新しい「話し言葉=言」が成立し、また文法の内省的固定と定着も生じました。そのとき、音楽や舞踊が「話す」から別れて独立していったわけです。
 このように、文字が生まれたことによって、現在のわれわれが考えるような「はなしことば」と「かきことば」からなる言葉が独立し、また、成立したのです。
(石川九楊『日本語の手ざわり』傍線は筆者)

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 簡単に石川九楊の言いたいことをまとめてみます。石川は文字発明以前の人間の表現行為がどのようなものだったかを言葉の類似から類推します。そして、人間が身体から直接意思を表現する行為(舞踊や歌唱や会話など)はすべて「はなす」という語にまとめて考えられていたのだろうと述べます。同様に人間が道具を使って表現する行為(彫刻や絵画など)は「かく」という語にまとまっていたのだと述べています。
 似た言葉をあつめてその指し示す内容をも類似したものだとしてしまう言い方は、一見ダジャレ的な言葉遊びのようにも思えてしまいますが、これはおそらくドイツの哲学者ハイデガーや日本の民俗学者の折口信夫の方法論を援用しているのだと思います。ハイデガーは本質的な人間存在のあり方を追究するためにやはり単語の語源を探っていきながら、そもそも人間は文明が複雑に発達する以前はどのようなものの見方をしていたのか、それを追究することは現在の人間の根源的なあり方(現実存在)を理解するうえでも重要なのではないかということを論じました。折口信夫も、日本人が仏教や中国の影響を受ける以前(場合によっては天皇制や神道の影響を受ける以前)に特有にもっていた文化習俗はどんなものだったのかということを、語源から導き出そうと考えました。折口の説で私たちの生活に身近なものとしては、「ふゆ(冬)」という言葉は春の芽吹きに備えて万物の霊が「ふえる(増える)」時期だからそう呼ばれているのだ、というものがあります。
 (文字発明以前の文化の状態をこのような方法でほんとうに推し量ることができるのか、ということについては批判もあるのですが、現在はだいたいフロイトの精神分析理論や乳幼児の発達段階の分析などと融合させて、ある程度の妥当性をもって受け入れられている考え方になってきていると思います。実際に科学的に正しいかどうかよりも、特に構造主義以降の思想家の言説のパターンとして、物事を根源的に考えるときに便利なものの言い方だと思われている…と言えばいいのかもしれません。)
他にも「学ぶ」は「まねる」から来ているのだとか、同じ語の幹から枝分かれし、分化して別な意味として使われるようになった語がたくさんあります。これは他の外国語でも同様で、ずっとさかのぼっていくならば、人間の言葉は未分化な少数の語彙でさまざまなものを言い当てる、今よりもずっとプリミティブな言語だったことでしょう。また、それに伴って人間の分析的な思考活動も今よりもずっと未分化だったでしょうから(知性として劣ったものでなかったことは先日なくなったレヴィ・ストロースが論じていますが)、歌うことや踊ることや会話することなどが意味として同じことだととらえられることも、ありえないことではないと思います。
 さて、石川は文字発明以前の古代の人間にとって「はなす」「かく」という語の指し示す
 行為が今よりもうんと広かったのだと言うことを述べてくれました。私はさらにこの考えからさかのぼって、「かく」ことも「はなす」ことも区別がないような、人間の表現への欲動が一つに合一している「原-表現」の状態があったのではないかと推測します。「かく」ことにも「はなす」ことにも分れていかない、未分化の、ドロドロとした混沌の塊のような表現へのエネルギーのマグマのようなものがあり、これが歴史を経てさまざまな人間の表現行為に分化していった、また現在も分化発展し続けているのだ、と措定してみます。そうすると、多くのことが非常にスッキリとわかりやすくなります。
 最初のヘリウム・フープの行為も古代的・原-表現的に考えるならば、「はなす」ことの中に含みこまれます。身体内部の力のゲシュタルト(総合体)を調整して架空の一点に集める行為は「放す」ことだからです。
 詩を「書く」こともやはり身体内部にある原-表現への欲動のゲシュタルトを道具を使って身体の外部に放出することに他なりません。
つまり、「身体」をものさしとして考えると、人間の表現行為はすべて同一の地平に並んでしまうのではないか、というのが、今回私が言いたいことなのです。詩を「言語表現」としてのみ考えるのではなく、より広く、「身体表現」としてとらえなおすことで、開放的な地平が開けてきます。人間の表現行為はすべて下の図のような「身体性のスペクトラム」としてとらえなおすことができるのではないでしょうか。(※1)

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 詩はもちろん文字や雑誌や詩集といった「道具」を使って表現される行為ですが、他の散文に比べてよりプリミティブで、身体的内の原-表現の力動に根ざした、舞踊や歌唱に近い行為としてとらえることができます。
 現在現代詩を書く詩人の多くは、詩が散文的なコミュニケーションの道具ではないということを強調しています。たしかに、普段の話し言葉で行なわれるようなわかりやすい意味をもったコミュニケーションを、現代詩の表現に期待することは難しいようです。
 しかし、詩人が忘れてはならないのは、どのような詩であっても、それが表現である限り、身体性の表現に根ざしているということではないでしょうか。このことを忘れて、詩の無意味性や無目的性だけにとらわれていると、詩が本来もっている身体性を非常にまずしいものにしてしまうと思います。
 詩が言語表現であるという固定観念から解放し、身体表現としてとらえなおすことで、新しい力を詩に注ぐことが可能になると思います。なぜなら、最初に述べたように、身体にはまだ追究されてこなかったOSとしての沃野が広がっているからです。私は身体のOSが多様化していくことが人間の自由の幅を広げていくのだと述べましたが、自由の幅が広がっていくことは表現行為における自由の幅も拡げていくことにつながっていくからです。例えば、モダニズムの表現には都市生活の発展が、シュールレアリズムの表現には無意識という沃野の発見が、大きく関わっています。具体的な人間の自由の領域の拡大が、詩の表現領域を広げるということはこれまでにもあったことでした。
 詩のみならず、多くの現代芸術が陥っているのはこの問題であると思います。自分たちが行なっている表現行為の核の部分には原-表現としての身体性があり、これを表現することが芸術行為の目的なのだということが、音楽でも絵画でも忘れられがちなのだと思います。
 以前私はエミリー・ウングワレーというアボリジニのおばあさんが絵を描くところをビデオで見たことがあります。このおばあさんは年をとってからオーストラリア政府の教育プログラムに学び、絵を書き始めたのだそうです。ビデオではウングワレーはまず、大きな模造紙のような紙を地面に広げ、その上にどっかりと座り込んでしまいます。そして、手のひらに直接絵の具を盛り上げて、座り込んだ周辺の紙一面にべたべたと絵の具をなすりつけるようにして描いていっていました。
 こうしてできた作品は一見すると非常に抽象度の高い、ポロックやミロの作品のような、現代美術と比較しても遜色のない前衛性をもっていました。しかし、いわゆる前衛的な、現代アートが標榜するコンセプチュアルな部分はあっさりと蹴飛ばしてしまうような、描く喜びが直接伝わってくるような生き生きとした身体性がありました。
 私がこれからの詩に期待するのも、このようなウングワレーの絵のような前衛性・抽象性と身体性の共存する作品です。
 現在の詩の窮状を打開するためには――多くのジャンルが行き詰まったときにとる方法ではありますが――原点に回帰するしかないのだと思います。
 私たちはこれから詩の表現について次のように叫んでいかなければならないのでしょう。
「身体にかえれ」と。


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及川 俊哉(おいかわ しゅんや)
1975年岩手県生まれ。現在は福島県在住。
2005年、12月23日、は東京駅「銀の鈴」前で突如として「ウルトラ」2代目編集長に任命され、現在に至る。
2009年 詩集『ハワイアン弁財天』(思潮社)発表。

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1 コメント “詩における身体論の可能性について その2”

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