アミリ・バラカと言えば、ビート・ジェネレーションの初期からアレン・ギンズバーグやダイアン・ディ・プリマと肩を並べて、精力的な活動を展開してきた黒人詩人。 その彼が、昨年11月15日にバークレーにやって来て、夕刻からポエトリー・リーディングを行うことになった。そこで、ちょうどそのころサンフランシスコに滞在していたわたしは、ぶらりと行ってみることに決めたのである。 会場名は、ラピーニャ・カルチュラル・センター。その名前からラテンアメリカ系の文化センターのようなものを想像していたのだが、実際は地元民が気軽に立ち寄れるバーのような感じだった。すこし開演時刻より早めに到着したのだが、もう客席はほとんど埋まっている。 客層はといえば、興味津々のわたし自身と、見るからに不機嫌そうな表情をうかべた白人の中年男性一人(それにしてもなぜこの人はあの場にいたのだろう)を除くと、あとは もうみな黒人の方々である。 彼らは和気あいあいとしていて、なんだか有名詩人の朗読会というよりは、隣のあんちゃんのマジック・ショーでも見に来た感じだ。いっぽうアミリ本人のほうはと言えば、 開演時刻を一時間半ほど過ぎた頃にようやく現れた。 ずいぶん遅刻してきたわりには悪びれもしない。そのくせどこか憎めない感じで、ブラック・ナショナリズムの闘士とかなんとかいうよりは、 うらぶれたコメディアンのように見えた。第一印象は、わりと愛嬌のある小柄な爺さんといったところ。
ところが挨拶もそこそこに彼が朗読し始めた詩 「異教徒」(Heathens) は、 愛嬌があるなんてものではなかったのである。 いやはや、とんでもないソノリティーだった、あれは。 トランペットだろうがサックスだろうがクラリネットだろうが、 アミリは自分の口と喉だけで表現してしまう。 いや、 そんな物まねのレベルではなくて、 彼は朗読者とジャズバンドのジャムセッションを自らの肉体一つで実現させてしまうのである。 まったく筆舌に尽くしがたいと言うほかない。
しかも当人は「筆舌に尽くしがたい」 などと間の抜けたことは言わずに、 次々に攻撃的なフレーズを叩きつけてくる。 標的は 「白い連中」の信奉する 「神々」、 ひいては 「奴ら」 自身だ。
「奴らは好んで醜い姿をしている!」
「奴らは人間を食い物にする!」
「奴らは大昔から飽くことなき連続殺人を行っている!」
「嘘をつきながら、 奴らは会話しているふりをする!」
「奴らは宗教的な体験を得るために、 便所にしけこむ!」
などとアミリが吠えるたびに、 客席から哄笑が沸き起こる。 とりわけ彼が二度繰り返した短いフレーズは大喝采だった─―
「キリストはな、 ヨーロッパにはいなかったんだぜ!」
しかし先程から一人渋面を作っていたあの白人の中年男性は、 それを聞くと怒りもあらわな様子で席を立ち、 そのまま出口に向かってしまった。 その背中にもアミリの鋭い言葉が突き刺さる。
「奴らはファシズムを文化だと思ってやがる。 人間より自分たちが偉いんだと思ってやがる。 おまけに人間性は “形而上学的” だとよ!」
この日彼が朗読したのはこの詩一篇だけで、 残りの時間は「黒人芸術と政治」 というテーマのシンポジウムに充てられた。 パネリストは全部で四人の黒人たち。アミリ以外は皆若いラップ・ミュージシャンや詩人たちである。 明らかに彼らは緊張していてロレツも回らない様子だったから、 さすがのアミリも少しは手加減するのかなとわたしは思っていた。
しかし甘かった。 考えてみれば、彼が 「物分りのいい老人」 の役割など担うわけはないのである。 ほとんどカルシウム不足なのではないかと思われるほど苛立った口調で、アミリは一方的にまくしたてる。 なんとか穏便な方向へ話をもっていこうとする司会者を完全に無視して彼が主張するのは、 ずばり 「革命」だ。時代錯誤もなにもあったもんじゃない。アミリが革命と言ったら革命なのである。
「このクソの山みたいな社会に対抗できる社会はどこにあるんだ? どこに革命的な映画配給会社がある? どこで革命的なジャズ・フェスティバルをやってる? 俺たちだよ。 俺たちがここから新しいもんを作り上げてかなきゃいけないんだよ。 資本主義社会から社会主義は生まれるんだ。」
こう叫びながらアミリは机をバンバン叩いたり、 熱狂の余りマイクの存在も忘れて虚空に向かって吠えたりしている。
するとそれまであっけに取られていた他のパネリストたちも、 ようやく我に返り、 アミリに負けじとディスカッションに参加し始める。 例えばラッパーの青年などは、こんなことを言ってのけた。
「俺だって、 昔サンフランシスコあたりですごいムーブメントがあったことは知ってるよ。 おっさんやおばさんが、 “昔俺は王様だった”とか、 “あたしは女王様だった” とか言ってるからさ。でもよ、その “王様” とか “女王様” とかは、 いったいどこへ行っちまったんだい?」
するとこの発言を受けて、 女の子のパネリストが言葉を継ぐ。
「黒人の革命って必ずしも上手くいくもんじゃないのよね。 “世界に君臨する王様” になろうったって、 なかなかそうはいかないわよ。」
これに対して、 憮然としたアミリはこう答える。
「ああ、 だってその “王様” が俺たちを白人どもに売っぱらったんだからな。 俺たちを奴隷扱いしたのは奴らなんだ。」
このときわたしは、「まずいな」と思った。 それまでアミリは基本的に 「黒人対白人」 という視点からのみ話をしていたのだが、 勢い余ってここで同胞の黒人を槍玉に上げてしまったからだ。 すると案の定、 客席のいかつい男 (明らかにアフリカ系だ)が猛り狂って立ち上がり最前列まで駆けつけ、 激しい身振りを交えながらアミリに抗議し始めた。 この男の声はマイクを通していないからほとんど聞こえないが、 怒り心頭に達していることはありありと見て取れる。 そしてその怒りが、さらにその上をいくアミリの怒りに火をつけてしまったのである。怒髪天を突いたアミリは、 あらん限りの大声でこう繰り返し始めた。
「アフリカ人が奴隷制度の手引きをしたんだ!」
「アフリカ人が奴隷制度の手引きをしたんだ!」
「アフリカ人が奴隷制度の手引きをしたんだ!」
「アフリカ人が奴隷制度の手引きをしたんだ!」
もうこうなるとだれにも止められない。 野獣と化したアミリは、 なおも抗議を続ける男を絶叫で圧倒しようとするだけである。
「何千冊もの本にそう書いてあるんだ!」
「何千冊もの本にそう書いてあるんだ!」
「何千冊もの本にそう書いてあるんだ!」
「何千冊もの本にそう書いてあるんだ!」
これではたまったものではない。男はいくら抗議しても無駄だと悟ると、アミリの前に置かれた机を両手で思い切りぶっ叩いてから、 足早に会場を去っていってしまった。
この後どうにか司会者が収拾をつけた後に、ようやくシンポジウムは終了。だがそれに続くQAも大変な荒れ模様になった。 もう詳細は省略するが、 次々に質問を繰り出す聴衆の中でも、 特に一人のアラブ系の少女が鋭い反論を突きつけたので、 ついにアミリが言い負かされてしまったのだ。 そのとき彼は思わず 「お穣ちゃんは経験不足だからそんなことが言えるんだよ」 とこぼしてしまったから、 たちどころに少女の反撃を食らった。
「経験不足なのはあなたです!」
そこで聴衆がそろって拍手したので、 またしても彼は怒髪天を突くことになったのである。 そしてありったけの罵詈雑言を聴衆に向かって吐きながら、 アミリは司会者に抱きかかえられたまま姿を消していったのだった。 最後に次の捨て台詞を残して――
「もう二度とこんなとこには来ねえからな!」
さて、ここまであの嵐のような出来事の記憶をたどってきたわたしは、 今自問自答している。 いったいあれはなんだったのだろう。ポエトリー・リーディングなどではなく、 単なるいかれた爺さんの暴走に過ぎなかったのだろうか。 正直言って、 まったくそう思わないわけではない。 なにしろあの日のアミリは、 ほとんどただの癇癪玉に近かったし、 そもそも詩だって一篇しか読まなかったのだから。 だがそれでもなおわたしは、 あのとき起こったことのすべてこそが、 「ポエトリー・リーディング」 の本質だったと強弁したい気に駆られてしまう。 理由?
おもしろかったからに決まってんだろ!
(この未発表の短文「アミリ・バラカ、吼えまくる」が書かれたのは、1997年。したがって、文中「昨年」とあるのは1996年を指している――山内記)
アミリ・バラカ、吼えまくる
山内功一郎















