▼特別企画 吉増剛造氏インタビュー 「詩と非・詩との間で」
参加者感想(五十音順)
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今橋愛
吉増さんの浮遊感、佇まい、
頭の中のものが流れてくる、流れつづけているような ことばの流れかた。
どきどきしながら 聞いていました。
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倉田良成
きょうは六本木・ホテルアイビスで行われた、吉増剛造氏をゲストとしたイヴェントに参加する。愚生としてはこういうことはきわめて珍しい。「朗読」がない、ということも一因している。
予想していたことだが、見知った顔がいくつかあり、挨拶などする。もともとこういう集まりの嫌いな私が、なぜこの場にいるかというと、関西tabの高塚謙太郎やタケイリエがここに参加するとて、会っておきたいという腹づもりだったのだ。
所期の目的は達したので、すぐにも帰ってよいようなものだが、いちおう吉増氏の話を聞かなければ義理が悪いので、会場に入って、席がないので坐った隣が吉増氏の席だった。配られたカラーコピーの吉増作の細かい文字のページを見て、こんなの読めねえや、と呟いたのが聞こえたかどうか。こっちは脇の下に汗をかく思いだった。
だが、壇上に立つ吉増氏はみごとなentertainerだった。初めは麻布十番の蕎麦屋で、近藤、タケイとともにやった昼酒のせいで眠くて堪らず、両君とも心配顔でこちらをちらちらと気にしているほどだったけれど、話が進むにつれて俄然面白くなってくる。
壇上で吉増氏は直感し、交歓し、降臨し、降霊した。つまりそのさまをわれわれの面前でくまなく演じて見せたのだ。これを最高のentertainmentと言わずして何と言ったらいいのか。宝貝の作り物など、ほとんど幸福な、でも呵々大笑ものというべきではないか。唐十郎氏ともさいきん会ったということを話されていたが、この、無から有を生み出すような点は、演劇と通うところがあるようである。
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渡辺めぐみ
7月11日、六本木のホテルアイビスにおいて詩誌「ウルトラ」・「六本木詩人会」特別企画の和合亮一氏による吉増剛造氏へのインタビューと質疑応答の会があった。吉増氏の今年2月22日に発売されたばかりの「gozoCine> KI-SE-KI」の映像が和合氏のパソコンで流される中、「nakedwriting/gozo」と書かれた吉増氏の肉筆原稿のカラーコピーを手に約20人の人間が参加したこの非公開イベントは、和合氏が吉増氏に事前に質問内容を提出して行なわれた詩、映像、パフォーマンスなどの吉増氏の多岐にわたる活動の魅力に本音で迫まり、吉増氏が誠実に答えを返された貴重な時間であったと思う。まずリスナーとして最も嬉しかったことは、2007年世田谷パブリックシアターで行なわれた「現代詩フェスティバル2007〜環太平洋へ〜」の出演時に吉増氏が行なった詩作休止宣言を「詩を冬眠状態にさせていた」と振り返り、また詩に戻ってきた、ホテルアイビスでまた詩が始まると詩作活動の再始動を約束してくださったことだった。吉増氏は最初の一行を書くのに一週間昔かかった、詩があまり好きでないとも発言され、非凡な才能を誇る吉増氏の意外な側面を見る思いがあったが、「僕の目でなく第4第5の地中の目をさがす」、「言葉の湯気を立たせる」、「詩の雑草、繊維に入ってゆきたい」、「中間とさえ呼べないものの中に外部がある」、「文字のそばに傷をつくる」などの自らの創作過程に対する吉増氏のコメントはそれ自体既に詩になっているように思われた。生に王道というものがあるとすれば、吉増氏は王道を行く者の軌跡を追うのではなく、王道をはずれた者の生の奇跡に熱いエールを送り続ける人であるのかもしれない。
続いて7月28日、有楽町のよみうりホールで近代文学館主催の「夏の文学教室」があり、吉増氏が新作Cine「イエイツとアイルランド」というテーマで講演をされたので伺った。この日もネイキッドライティングと氏が呼ぶところの30本の様々な色のインクの万年筆を瞬時に取り換えて書くという肉筆原稿のコピー(この日のコピーはリスナーが多いためカラーコピーではなかったが)が配付され、前半は吉増氏のこの原稿の丁寧な音読とトーク、後半は新作Cineの上映が行なわれ、あっという間の一時間だった。イエイツの母親の故郷のスライゴーを訪ねた吉増氏の手と目に任せられて撮られた無編集のCineは、いわゆるイエイツやアイルランドの紹介的な映像ではなく、吉増氏の心の目で捉えられたイエイツの霊とケルトの地霊と風と雨と空気との共振の記録であるような気がした。山が映ると吉増氏はこの山を説明しない方がよいと言われた。そのことはとても印象深かった。山は山の名としてそこにあるのではなく見る者の目にじかに飛び込んでくる人間の力を及ぼすことのできない得体の知れない荘厳な存在としてそこにあればよいということなのではないだろうか。イエイツの顔写真のフィルムが風に揺れ、それはイエイツが吉増氏の来訪に応えているようでもあり、また吉増氏がイエイツに語りかけている心の振動のようでもあり、無作為から作り出される濃密な時間の流れを感じ取ることができた。吉増氏のトークの中で「命の先端の目が近づいていってみれば」という発言があったのだが、吉増氏のCineの魅力はまさに命の先端の目でしか鑑賞できない現実のもう一つの層から出来ていると言えるだろう。それは何ものをも拒まず、対象に無防備に接近してゆく心の最も柔らかい部分を指しているのだと思うが、無私の目と言い換えてもよいのかもしれない。カラフルな原稿用紙のマス目を無視したネイキッドライティング(裸の記述)も吉増氏の中では同じ脳内回路から生み出されるのだろうが、今回のレジュメでは「魂とは色なのではないのか」という一行に思わず線を引いてしまった。吉増氏が現象に触れた際の対象や吉増氏自身の魂の色をパープルやイエローなどでその都度使い分けて文字として記しているのだとしたら、吉増氏以外の人が選び取られた色の根拠を知ることは非常に難しい。しかし、この不思議な吉増氏の記述方法に私は深く共感するところがあった。なぜならば私も子供のときから数字に固有色を感じる人だからである。
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タケイリエ
岡山から、飛行機に乗った。その1時間後には羽田へ到着。ずいぶん気軽な、参勤交代だ。第二ターミナルを歩きながら、携帯電話越しに家人と長男の声を聞いた。
それにしても、土曜の朝の六本木は静かすぎて、拍子抜けした。ミッドタウンが想像の1/2サイズだった。テレビや雑誌のそれよりも、ずっと小さかった。
インタビュー会場のホテルアイビスも、国立新美術館もおなじく想像より小さかった。もしかしたら岡山とは、建築物の体感モジュールが違うのかもしれない。
会場の会議室に入ったとき、壇上は空白であった。会が始まり、おもむろに客席の椅子の中から吉増氏が現れた。ゆったりと、舞踏家のようだった。
それから、わたしたちは二時間半の「呪術的な恍惚状態」に陥いることになる。見る目、聴く耳を、これほど使ったのは本当に、久しぶりだった。そして、それまでの先入観は、塗り替えられた。
翌日、国立新美術館で、野村仁の「変化する相ー時・場・身体」を観た。
〈北緯35度の太陽〉という作品は、1年分の太陽の動きを撮影した写真をつなげると、夏と冬がそれぞれ渦巻きになり、春分秋分が交差するというもの。この偶然の出会いに、あの、「渦の中心に降りてゆく」という言葉を思い出さずにいられようか?
また後日、原稿化された当日をプリントアウトし、呑み込めなかった語を調べた。「マイマイズイド」が「まいまいず井戸」であることを知った。こちらも渦である。西日本にはない、「渦」である。
質問の時、本当は「奄美以外に魅かれる西の土地はありますか」と伺おうと思っていた。ところが、予習で読んだ「裸形の言ノ葉」という評論集で取り上げられた吉増さんの朗読のことが気になって気になって、いけなかった。第一部のインタビューで朗読に関することが殆ど聞けなかったし、恥を覚悟で発言した。吉増さんはとても寛大な方で、ゆっくりと誠実丁寧にお話してくださった。それが本当に嬉しかった。
あの日の二時間半内の語りそのものが、朗読であったことに気がつかなかった自分の鈍感さに、今ごろになって、呆れる。括弧付きの朗読にこだわってはいけない、という言葉の意味を、雑誌の紙面やインターネット上では、きっと、永遠に理解できなかったであろう。
からだで体感し、経験するということは、ほんとうに貴いことだ。それが、今回の公開インタビューで私が得た収穫だった。会社を休み、快く子どもを預かって送り出してくれた家人に、感謝である。
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野村龍
今回の、「インタビュー 吉増剛造×和合亮一」では、「渦」というキー・ワードが、一時間のインタビューのなかで、一貫して、浮き上がっては沈み、沈んではまた浮き上がり、ピンチハンガー(=渦!)に吊るされた巻貝の貝殻のように、私たちの目の前で、揺れ続けていたように思います。
『キセキ』と命名されたDVD(これもひとつの「渦」ですね)は、吉増剛造の新たな「眼」となったデジタル・ビデオカメラの手ぶれ補正機能を超えてまだぶれ続ける視線を、「見者」吉増剛造と共有する、ひとつのツールに昇華した感があります。まるで、吉増さんと一緒に、写された対象に強引に侵入していく、一本の螺子(これもまた「渦」だと言えるでしょう)になったかのような錯覚さえ覚えます。カメラの前に吊るされたピンチハンガーの先で揺れる巻貝の貝殻も、まるで物陰から何かを窃視するかのような、眩暈さえ誘発する、不思議で不安定な仕掛けのような気がするのは、私だけでしょうか?
また、この度は、この非公開のイベントに、私のようなものをお招きくださった渡辺めぐみさん、この企画を現実のイベントとされたウルトラ/六本木詩人会の及川俊哉さん、和合亮一さんに深謝いたします。
今回のこのイベントは、非公開のものと言うこともあるのでしょうか、参加人数もごく少数に限られ、質疑応答では、吉増さんご自身がマイクを会場に回されるなど、とてもアンチームな雰囲気の中、2時間があっという間に過ぎてしまいました。吉増さんは、和合さんが綿密に準備されたシナリオから、まるで撮影会での猫のようにひょこひょこと逸脱し(和合さん、お疲れ様でした)、話すものと聴くものとの垣根をいとも簡単に取り払ってくださり、感謝です。
ありがとうございました。















