六本木詩人会 六本木詩人会 ホテルアイビス六本木

インタビューを終えて

和合亮一


 およそ二時間半にわたる長いインタビューとなり、最後まで快く応じて下さっていた吉増さんにはあらためて深く感謝を申し上げたいと思う。本誌「ウルトラ」の特集と新しく本年六月より始まった「六本木詩人活動」の趣旨に賛同して下さり、現在制作活動をされている岩手より駆けつけて下さった氏のご厚意が、この日に集った私たちに決して忘れることの出来ない時間を与えて下さったのである。

 詩を休止されることを世田谷のあるイベントの会場でお話されてから、歳月が過ぎていった。その間にも本インタビューでも何度か言及されている写真と日録を綴った書物「表紙」など、たとえ詩を書かなくとも詩そのものを追っている仕事は続けられていた印象はあった。しかし確かに「詩を書く手が止まっちゃった」と世田谷のステージでお話をされた通りに詩作の休止期間は続いており、ひいてはこの〈休止〉が今の時代の詩の世界における何らかの問題を反映していてのことなのかもしれない、と私なりにあれこれと勝手に思いめぐらせていたりもしていた。

 だから今回のインタビューにおける「再開宣言」は、とても画期的なものであった。「終わる」と同時に「始まる」。つまりは終わりと始まりの結節点のようなところに私たちはいつもいるのかもしれない…、と吉増さんが今回の「Gozo cine 」の映像制作の中で得た感触をそのまま、新しい詩作へと直結させていこうとしていることをお話の中でお伺いすることが出来て、私なりにも何か目覚めの喜びを感じたように思った。

 吉増さんから受け取る〈目覚め〉の感触。思ってみればいつも、私は詩人吉増剛造に朝そのものを見てきたように思う。時には不夜城のようにたとえられていく、様々な現代社会の時間からの麻痺感覚に冒される私たちに、いつも未明の兆しを与えてくれる先導者こそが吉増さんである。吉増さんの果敢さは、現代詩と呼ばれるものの野性と良心とを必ず約束してくれる。

 このことは近代詩もしくは戦後詩から受け継がれてきた精神を、吉増さん自らがまた比類無い強固で新鮮な〈結節〉を担う存在者となり、私たちに示して下さっているからこそに違いない。例えば今回であれば「柳田国男」や「中原中也」らに触れた吉増さんの発言を追っていくと近代…、あるいは他のところでも良く話題に登場する「西行」の存在などからも分かるように、中世、時には更に先までさかのぼって、詩歌と共に歩んだ故人たちと交信を重ねていこうとしていらっしゃるのが、良く分かる。


 私は夏の日に、岩手県花巻に居た。高村光太郎が晩年に七年間ほど暮らした、山小屋の前に立っていた。高村光太郎に関わる書物を開きながら、年老いてから独居自炊していたその家のたたずまいを、いつかは眺めてみたいと思っていた。しかしなかなか機会を得ることが出来なかった。心の中でずっと、想像が膨らんでいた。だからなのかもしれない。噂には聞いていたのだが、本当に粗末な様子を目にしたときには、目が潤んでしまった。

 思い描いていたものよりも、もっと小さかった。私はじっくりと眺めながら、案内をして下さった、光太郎と幼い時に親しくしていた浅沼隆さんの詳しいお話を聞いた。そしてしだいに私は、これまで「光太郎」と呼んでいたのだったが、話の途中で「光太郎さん」「高村さん」と言うようになった。高村光太郎はここではっきりと生きていたのだ、という実感がこの地の風に吹かれてみて、強く湧いてきた。

 吉増さんが、物故者にとても親しげに「さん」を付して呼びかける場面が、お話をしているとよくある。本インタビューでもそれが探し出せることと思う。あるいはその土地の地名や花の名などを、とても親しみを込めて教えて下さることがある。私はここにも吉増さんが開示してくれる、確かな〈結節〉を見出すことができるように思うのだ。眼差しの先にあるものを過去に押し込めてしまうのではなく、〈過去〉そのものがまた〈未来〉であるかのような、終わりと始まりの〈結節〉を。

 詩誌「ウルトラ」と「六本木詩人会」の合同企画で、希有の場でありながら不思議な温もりも感じられるような雰囲気を作り出すことが出来たことが本当に嬉しかった。
吉増さんのご尽力に感謝すると同時に、全国から六本木に集まって下さった方々に深く御礼を述べたい。そしてこれからのプロジェクトの続編を期待していただきたい。
吉増剛造さん、本当にありがとうございました。

   ☆

 誕生日の深夜に、大の字になって一人でうつらうつらとしていた。寝ぼけたまま寝室に行き目を閉じた。深い眠りに落ちるはずなのに、途中で目が半分だけ覚めた。なぜだか茶の間に、何人かの気配を感じたのであった。めでたい夜の戯れ言と見過ごしていただきたい。誰かが何人か、茶の間で集まって話をしている。電気を点けたままにしてきたことも思い出した。

 今、そこへ行ったら、その談義に混ざることができる…。とても大事な会話がなされている、ように思った。他人だが親しみのある物故者たち…、の存在感を感じる。良く知っている人たち、だけれど、会ったことのない人々。どうしてそう感じたのか、分からないのである(他愛ない夢ですから…)。何を、喋っているのだろうか。耳を澄ましている私。眠っている私。
 吉増さんは詩という文学を通して、時の向こうの人々への呼びかけや問いかけをこれからも繰り返していかれることだろう。生起する交わりと結び合いのアウラのようなものを幾度となく想像の中で反芻しているうちに、このような幻を思い浮かべたのであるらしい。理屈ではなく、肌で時間の〈気〉のようなものを感じ取ることが出来たように、夢枕から覚めてしばらく思ってみた。

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和合 亮一(わごう りょういち)
1968年生まれ。
第1詩集「AFTER」で第4回中原中也賞(1999年)、第4詩集「地球頭脳詩篇」で第47回晩翠賞を受賞(2006年)。
読売新聞・日経新聞(夕刊)・ディズニーファミリーサイト等に連載中。

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