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インドネシアのハングル

及川俊哉

 最近インドネシアで少数民族が自分たちの言語の表記に韓国語のハングル文字を採用したというニュースを読みました。既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、下記にいくつかネット上でのニュースを貼り付けておきます。



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【8月6日 AFP】(http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2628377/4431390
独自の言語をもつが、表記文字を持たないインドネシアの少数民族が、韓国のハングル文字を採用することを決定した。このプロジェクトに参加する研究者が6日、語った。
 ソウル大学(Seoul National University)のイ・ホヨン(Lee Ho-Young)教授によると、ハングルが他民族の社会で使用されることになるのは初めてだという。
 ハングルを採用するのは、インドネシア・スラウェシ(Sulawesi)島の南西にあるブトン(Buton)島のバウバウ(Bau-Bau)に暮らす、人口約6万人のチアチア(Cia-Cia)人。
 イ教授によると、バウバウでは7月21日からハングルを教える授業を開始した。ソウル(Seoul)の言語学会「訓民正音学会(Hunminjeongeum Research Institute)」の作成した教材を使用しているという。
 イ教授は、「これでチアチア人も独自の言語を保存することができる」と述べ、今回のハングルの採用を「歴史的」な出来事とした。
 これまで同学会は、長年にわたって、独自の言語を持つが表記文字を持たないアジア各地の少数民族に対し、ハングルの採用を広げようと取り組んできた。(c)AFP



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【聯合ニュース】(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090806-00000020-yonh-kr)独自の言葉はあるが表記する文字を持たないインドネシアの少数民族が、ハングルを公式文字として採択し本格的な教育を開始した。海外でハングルが公式文字として採択されるのはこれが初めてで、ハングル世界化プロジェクトが実を結んだといえる。
 訓民正音学会と学界が6日に明らかにしたところによると、インドネシアの南東スラウェシ州のバウバウ市(ブトン島)はこのほど、現地の少数民族チアチア族の言語を表記する公式文字としてハングルを導入した。
 人口6万人余りのこの民族は、文字を持たないために母語教育を十分行えず、母語喪失の危機にあった。これを知った訓民正音学会関係者がバウバウ市を訪れハングル採択を提案し、昨年7月にハングル普及に関する了解覚書(MOU)が締結され、韓国の学界も教科書を製作した。
 先月21日にはチアチア族密集地区の小学生40人余りにハングルで表記され教科書が配布され、週4時間の授業がスタートした。書き方と話し方、読み方から構成されるこの教科書は、すべての文字がハングルで表記されている。民族言語と文化、ブトン島の歴史、社会、地域の説話などで、韓国から伝わる童話も入っている。
 市はまた、この地区近くの高校に通う生徒約140人に対し、韓国語の初級教材を用い、韓国語を週8時間ずつ教えている。
 市は9月に「ハングルセンター」を着工する一方、ハングルと韓国語の教師を養成しハングル教育を他の地域にも拡大する計画だ。このほか、地域の表示板にローマ字とともにハングルも併記する。ハングルでつづった歴史書や民話集などを発行する取り組みも進める。
 教科書編さんを主導したソウル大学言語学科のイ・ホヨン教授は、「ハングルは、文字のない民族がアイデンティティと文化を保存する上で大きく役立つだろう」と期待を示している。
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 二つの記事とも簡単な内容なので、いくぶん想像を交えながら記述していくことになりますが、チアチア族の人たちがハングルを採用したのにはいくつか理由があると思います。
 まず、ハングルが表音文字として非常に合理的な文字であることがあげられると思います。ハングルは母音を表す記号と子音を表す記号を組み合わせて音を表現します。基本的な母音記号は10個、子音記号は14個であり、日本語の50音はもとよりアルファベット26文字と比較しても少ない数でたくさんの音を表現することが出来ます。このため、習得が他の言語に比べ、容易です。日本語がひらがな、カタカナ、ローマ字、漢字と、たくさんの文字を持ち、母語としている人間でも、高校生になってまで新しい漢字に出会うのと比べると、まったく雲泥の差です。
 もう一つは経済的な理由です。小学生のうちからハングル表記を習得することで、韓国語の習得はより容易になっていくと思われます(いちおう念のために書いておきますが、ハングル文字を読み書きできるようになることと、韓国語を習得することは別物です。これは、日本人が小学校でローマ字を習っても、英語を読み書きできるようにはならないのと同じことです)。韓国も最近ではヒュンダイグループやサムソンなどの国際企業が活躍しています。いずれチアチア族の人たちがこれらの企業の工場で働いたり、韓国製品の購買層となることを、チアチア族側も韓国側も期待しているのでしょう。今回のハングル採用には、そのような経済的な交流の深まりをねらった互恵的なねらいがあるのではないでしょうか。
 最後にもう一点。これは、チアチア族の言葉と韓国語の間に、音の上での相性の良さがあったのだと思います。多少専門的な話になりますが、言語にはそれぞれ特有の「音素」というものがあります。「音素」とは、その言語に特有の音の区別です。たとえば、日本語を母語とする人間は英語の時間に「L」と「R」の音の区別が出来ないことを指摘されます。これは、日本語に「L」「R」の音の区別がないからです。必然的に「L」と「R」によって意味が区別される単語なども存在しないことになります。ところが英語では、たとえば「Lice(しらみの複数形)」「Rice(米)」を言い間違えると大変なことになります。
 なぜこういうことが起るかというと、たとえて言えばその言語によってカバーしている言語音の網の目に大小があるからだと言うことができます。日本語の「ら行」の音をカバーする網の目は、非常に目が大きいのです。したがって「L」だろうと「R」だろうと「ら行」という一括りにして通過させてしまいます。しかし、英語ではこの二つには厳密な区別があるので、「L」の網の目「R」の網の目にふるい分けて聞き分け話し分けをする必要があるわけです。色彩にたとえて言えば、「青」という広い色の中にも「水色」や「群青」など、細かく見ていけば違いがあります。差異を広くとるか狭くとるかで、まったく様相が変ってきます。同様のことが言語においても起っているというわけです(もっと簡単に言うと、頭の中で区別できる言語音のことを音素と呼ぶのです。余談になりますが、日本人も実は「L」音「R」音を発音してはいるのです。ただそれを意味のある区別として受け取っていないだけです。そのため英語を習う際も使い分けられないのですね。参考→http://homepage1.nifty.com/tadahiko/GIMON/QA/QA248.HTML
 おそらく、この音素の網の目が、韓国語とチアチア族語との間で非常に似通っていたのではないかと想像することが出来ます。あるいはチアチア語が韓国語でじゅうぶんカバーできる音素数だったのだと思われます。双方が全くかけ離れた音素をもっていたのでは、いかにハングルが多くの音を表記できるからといっても、実際の使用現場で大きな混乱が起きることが予想されるからです。たとえば、現在の韓国語では語頭の「R」音は「N」音になって発音されるという特徴があります。具体的に言うと、韓国の人がスポーツの「ラグビー」を発音すると「ナグビー」になってしまう。これに類する齟齬が韓国語とチアチア語との間に強く働くようであれば、この結びつきは有り得なかったでしょう。また、チアチア族側の音の面で表記を詳しくしたいという欲求があったからアルファベットを選択しなかったのでしょう。
 このように、今回のチアチア族語とハングルの結びつきは、いくつかの幸運な条件があてはまった、希有な例ではないでしょうか。
 ただ、現在滅亡に瀕している無文字言語は多いでしょうし、ハングルのカバーする音も非常に広いですから、今後とも条件をクリアする言語が出てくる可能性はあります。将来的にアフリカ大陸や南米などでハングルにお目にかかる可能性もじゅうぶんにあると思われます。経済的な背景が見え隠れするにしても、このような文化支援は、どんどん進められていくべきではないでしょうか。考えてみれば、固有の言語に固有の文字をもっているということは、世界的に見れば恵まれた状態なのだと言えます。文字をもたない民族が感じている危機感というのも、日本に住んでいるとなかなかわからないものではあります。

 日本語の、たとえばひらがななどが今回のハングルの件と同じように、どこかの民族の助けになるということは考えられるのでしょうか?これは大変難しいことだと思います。
 まず先ほど述べたように、日本語は文字が多すぎます。ひらがなだけでも50近い文字の種類がある。この問題を乗りこえてまで日本語の文字を採用する少数民族は少ないと思われます。
 また、表音文字は単語がまざらないように分かち書きをする必要があります。ところが日本語は漢字仮名まじり表記を続けてきたので、仮名の分かち書きをすることをしないできました。このことは表音文字として使用するには非常に不便です。利用する少数民族の言語の特徴にもよると思われますが、分かち書きを社会的に使用して工夫してこなかったことはこのような場合大きな壁になると思われます。
 余談になりますが、分かち書きの理論がないことはどんな問題につながっていくのかというと、実は日本語の文法が厳密な文法的単位を確定できていないという問題につながってくるのです。現在日本語には外国人向けの現代語会話文法と、主として古典作品を読解するための古典文法があります。しかし、自国人向けの現代語文法がすっぽりと抜け落ちているのです。こうした文法のダブルスタンダードの中で事実上の典拠となる日本語文法は確立されていないのが現状です。こういうことが見過ごされている状態で、文章の添削や教育現場での記述問題の減点加点は慣習によって行なわれているといっていいありさまです(皮肉なことですが、なにか日本語表現で難しい問題にぶつかったら、外国人向けの日本語教科書を読んでみるといいですよ。目から鱗がおちる説明がたくさん書いてあります)。
 日本語の不備はさておき、ハングルがインドネシアの少数民族で使用されるという現象は非常に興味深いことだと思います。
 バベルの塔以前への回復欲求とでも言うべきか、世界中の人間が言語の壁に妨げられずに自由にコミュニケーションできたらいいだろう、という考え方は昔からありました。ポーランドのザメンホフが開発したエスペラント語などもその一つです(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88)。宮澤賢治がその思想に共鳴して作品中に使用したのは有名です。
しかし、いかんせんエスペラントもヨーロッパ言語を母胎としているため習得に困難がある面もあり、世界的に普及するには至っていません。
 今回この項を書きながら思いましたが、やはり世界中の言語をひとつに統一してしまうと言うことには無理があるのかもしれません。人間的自然の姿に抵触する問題があるのだと思います。それよりも、今回のチアチア族とハングルの結び付きのように、脈絡なくごちゃ混ぜになっていく方が、コミュニケーション効率は上がるのではないでしょうか。つまり、統一ではなく混合です。なぜなら、チアチア族は今後他言語の人間と接触した場合、その人が少しでもチアチア語かハングルを知っていれば、カタコトでも意思疎通をする可能性が増えるからです。言語的な可能性の領域がこれまでと比べてチアチア族は幾何級数的に増えているはずです。
 こういったことは、たとえば原始地球での生命の発生と進化になぞらえることができると思います。現在、人間を含む動物の細胞にはミトコンドリアという組織が含まれています。ミトコンドリアがあることで動物はATP交換という酸素を使ったエネルギー活動をすることができ、活発に動くことができます。しかし、このミトコンドリアは、もともと細胞内にあった組織ではなく、進化の過程で細胞内に取り込まれてしまった別種の好気性細菌だと考えられています。別の生き物どうしが合体して共生しているわけです。これを内部共生説(endosymblont hypothesis)と言います。(*1)
 何億年も昔の大海原で、ちゃぷちゃぷと細胞になりかけのわれわれのご先祖様が、おたがいを食べあったり取り込んだりする中で、偶然的に共生関係が生まれたわけです。
 まったく出自のことなるものどうしが脈絡なく混合して一つの共生体になる。これまでの統一体としての言語の伝播という――1本の川が枝分かれしていくようなモデルは、もう言語観としては時代遅れになっていくのでしょう。これからはハングルとインドネシア少数民族の結びつきのように、細胞どうしの脈絡のない混合共生のような、大洋的な言語観が必要になってくるのだと思われます。
 そして、そのような言語の現代性を反映させようとするならば、詩の表現も、混合的で大洋的なものになっていかざるをえないでしょう。ついては、わたしはこの大洋的言語観をもって詩作を続けていきたいと思います。混沌と混在によって、沖縄語で言うチャンプルー料理のような…多くの人に接点をもってもらえる詩ができていくと思います。


*1 「細胞小器官の遺伝子系は原核生物の性質を示しており、特に葉緑体ではこの類似が顕著であることから、ミトコンドリアや葉緑体は10億年以上前にエンドサイトーシスで取り込まれた細菌から進化したと考えられる。この内部共生説(endosymblont hypothesis)によれば、真核生物はミトコンドリアも葉緑体もない嫌気的な生物として出発し、細菌と共生関係を確立し、その酸化的リン酸化系を乗っ取って利用するようになった。」『細胞の分子生物学 第4版』(二〇〇四年 株式会社ニュートンプレス 中村桂子・松原謙一監訳)



及川 俊哉(おいかわ しゅんや)
1975年岩手県生まれ。現在は福島県在住。
2005年、12月23日、は東京駅「銀の鈴」前で突如として「ウルトラ」2代目編集長に任命され、現在に至る。
2009年 詩集『ハワイアン弁財天』(思潮社)発表。

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1 コメント “インドネシアのハングル”

  1. まほろ より:

    「経済的背景」を指摘しておられますが、むしろ、韓国人独特の文化的劣等感、
    およびその反転としての国粋主義的自己肥大化妄想にもとづいた、
    「ハングル世界化プロジェクト」とみた方が適切ではないかとかんがえます。
    たとえば「ハングル」という呼称自体が、「偉大な文字」を意味する、
    民族意識の高揚を企図して近代以降につくりだされたものです。
    また、「文字オリンピック」なる、「文字の優劣をつける公式大会」が大々的に開催されるなど、
    文化相対主義を一顧だにしない風潮がいろこくうかがえます。
    賞賛に値する、純粋な善意による「文化支援」かどうかについては、
    少々うがったみかたをした方がより「穏当」ではないでしょうか。

    http://media.daum.net/culture/view.html?cateid=1003&newsid=20090930150514715&p=yonhap
    (翻訳)
    http://www.excite-webtl.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fmedia.daum.net%2Fculture%2Fview.html%3Fcateid%3D1003%26newsid%3D20090930150514715%26p%3Dyonhap&wb_lp=KOJA&wb_dis=2

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