世の中にはたくさんの奇妙な趣味をもっている人々がいますが、「廃道」が好きだというのもそのうちの一つになるのではないでしょうか。廃道というのは利便性のある交通道路が開発されるに伴って使用されなくなった道路のことです。ネットで調べると、意外と廃道好きな人々がいるようで、「日本の廃道(http://www.the-orj.org/)」などという、ネット販売向けのPDFデータ同人誌などもでています。
廃道を好む人々の、その趣味の目的はなにか、廃道の魅力とは何か、ということが疑問になって来ると思われます。以下に参考になりそうな文章を引用しておきます。
「まず、第一に『歴史』がある。旧道である以上、道が開かれ、そして廃れていった歴史が必ず存在する、その歴史は道端に建つ開通記念碑が教えてくれることもあり、詳しく語る書物が存在することもある。歴史を知ることは自分が汗水垂らして越えた道への思い入れと記憶を深くしてくれる、一種のエンドルフィンだ。そしてまた、かつて峠を越えていった人々に思いを馳せる糧にもなってくれる。」(「日本の廃道」HP内「旧道倶樂部について」http://nagajis.the-orj.org/about.htmlより)
私が住んでいる東北の地域にもいわゆる旧街道の遺構や沿岸と内陸部をつなぐ「塩の道」跡などがあり、休日などに散策がてら歩いてみたことがあります。やはりそのときも、これらのHP作者の言うように、これまでこの道を歩いてきたはずの古代からの人々の感覚に気持ちが親しむような感情をおぼえました。素朴に雑草が踏みしめられた道の上に、これまでそこを通過してきた人々の姿が影向してくるような、不思議な感覚です。
私をその道に案内してくれた先達の人の話も興味深いものでした。古代からの道は、当然歩くことを基本にしていますから、決して無理のない、歩きやすい道になっているということです。また、きれいな水がわいている清水や、風景のよい岩場など、楽しみのあるスポットを結ぶようにしてつながっていると言うことでした。
これは、やはり古代からの人間の知恵が、最大公約数的に歩きやすい道を長い間かけて作り上げてきた結果なのだと思われます。そういう意味では、旧道とは何千年もかけて作り上げられた智恵の結晶なのだと言えるでしょう。鍾乳石が何万年もかかって美しい姿を現すように、身体への負荷を減らし精神に娯楽を与えようとの先人の努力が地道に積み重ねられて完成したのが、旧道(古道)なのだと思います。
身体を扱う叡智の蓄積を、私たちはあまりにも簡単に捨てて省みなくなっているのでしょう。里山の神社などで参道を改良のつもりでコンクリートの階段にしてしまっているところがよくありますが、人間の自然な歩幅のことなどをあまり深く考えずに形ばかりの段を作って、のぼりにくいことおびただしい場合があります。私たちは近代化の過程で自分たちの身体をものさしとして生きる知恵を捨ててきてしまったのではないでしょうか。その結果、過剰にストレスフルな環境の中で不愉快さに鬱々としながらもがいていなければならない。もったいないことです。
じっさい、生物が周囲の環境に働きかけながらそれを改変していく場合、自らの生存と種の保存にかなうように最適化していくのが普通です。こういった現象の発生は、たとえば貝がカルシウムを分泌しながら貝殻を形成したり、ヒトデが胃袋を体外に押し出してえものを消化したりすることに求められると思います。ハチやアリが「社会」を形成して巣を建築することも、栄養摂取と生殖活動の高能率化を図るためであり、その意味ではヒトデの場合と同様に内臓器官の働きを外在化させたものだと考えられます。この考え方を拡張していけば、人間が行なう社会活動やそれに伴う交通機関や建築活動も、およそ文化活動は全てが「外在化された臓器の活動」だということができます。ヒトデが胃袋を出すことと都市の高層ビルや地下鉄の運営が同じだと言われれば驚くかたもいらっしゃるかも知れませんが、ある位相をとらえて集約してしまえば、生命の活動として両者には相似の構造があるということはできるのです(人類の産業の発展が、農業→機械工業→IT関係…と進んできている有り様は、栄養系→骨格筋肉系→脳神経系…と順次身体臓器の機能が外在化されてきているのだととらえなおすことができると思われます。なぜこの順番なのかということについても何らかの説明はつくはずです)。
おそらく古代の人々は人間が周囲の自然に働きかけると、環境が改変され、それが「外在化された臓器」として働き出すことをよく知っていたのだと思います。そして、それらの外臓器的環境が今度は逆に人間に影響を及ぼすことも。
一度譜面に書かれた楽譜は、それを見た音楽家に実際の楽曲を再現させることができます。音楽の世界ではこれを作曲家の創造によるもともとの「原創造」と区別して「追創造」と呼ぶようです。里山に開かれた旧道や古道は、今度はそこを歩く旅人によって「追創造」されるわけです。道は、その場合人間の身体にとって楽譜の役割を果たしていることになります。身体という鋳像にとっての鋳型になっていると言いかえてもよいでしょう。
人間と道、すなわち人間と環境とを両者独立したものとして考える立場を近代は取ってきました。しかし、実際は人間と環境とは「環境-内-存在」として双方向的な関係にあり、どちらか一方を改変すれば即ち他方も変化を強制されるという相即的な関係にあるのです。この視点を仏教は「縁」や「因果」という概念で表現してきたものと思われますが、古代からの日本人はその事を経験的によく知っていたものと思われます。そのため旧道は快適なのでしょう。この視点がない文化は非常に身体に負担を強います。都市空間の不快さや苦痛などは、おおむねこのことに由来しているのだと思われます。適切な鋳型の中に流し込まれなければ、鋳像は完成しません。それどころか鋳型を破壊しかねません。環境問題を考える際にはこのような身体の本源的な快不快の問題を考慮しなければならないでしょう。たとえ環境によくとも人間に不快を強いる対策であれば成功するとは思えません。
さて、ここで私はやはり詩のことを言おうとしてきたのです。もうおわかりかも知れませんが、私は文化一般が独立して存在しないことを説明してきたのですから、やはり詩についても同様の意見をのべなければなりません。
私は詩を身体と双方向的な関係にあると考えます。詩と身体は相即的な関係にあります。詩は作者の身体を外臓器化したものであり、また読者の身体にとっての外臓器となって読者に快や不快を与えます。それは散文のような言語による直接的なコミュニケーションではありませんが、言語による写像的な臓器信号の交流になっています。つまり作者と読者の内臓の感覚に推移的な写像の関係を結ぶことができれば、その詩は理想的に優れていると言うことができるはずなのです。
最近詩が一般の人に読まれなくなってきているのはこのことを忘れているためではないでしょうか。作者の内臓と読者の内臓とをうまく結びつけることのできる詩作品が生み出されていないからではないでしょうか。詩は身体の鋳型であり、読者は詩を読むことによって作者の内臓感覚を追体験します。
おそらく詩人はもっと身体を鍛錬しなければならないのでしょう。詩が読まれないという事態について、詩人は大きな誤解をしてきていたにちがいありません。研鑽されるべきは言葉ではなく身体であったのだと思います。「もっと身体を」。おそらくこの自覚が詩を賦活させるのだと思います。
もっと「身体(カラダ)」を。
及川俊哉
及川 俊哉(おいかわ しゅんや)
1975年岩手県生まれ。現在は福島県在住。
2005年、12月23日、は東京駅「銀の鈴」前で突如として「ウルトラ」2代目編集長に任命され、現在に至る。
2009年 詩集『ハワイアン弁財天』(思潮社)発表。
















以下に書いたことは、某SNSの日記からのもので、きのうのホテルアイビスの催しで求められたアンケートに代わるものです。ここに掲出するのが適当かどうか分かりませんが、よろしくお願いします。
7月11日(土)
きょうは六本木・ホテルアイビスで行われた、吉増剛造氏をゲストとしたイヴェントに参加する。愚生としてはこういうことはきわめて珍しい。「朗読」がない、ということも一因している。
予想していたことだが、見知った顔がいくつかあり、挨拶などする。もともとこういう集まりの嫌いな私が、なぜこの場にいるかというと、関西tabの高塚謙太郎やタケイリエがここに参加するとて、会っておきたいという腹づもりだったのだ。
所期の目的は達したので、すぐにも帰ってよいようなものだが、いちおう吉増氏の話を聞かなければ義理が悪いので、会場に入って、席がないので坐った隣が吉増氏の席だった。配られたカラーコピーの吉増作の細かい文字のページを見て、こんなの読めねえや、と呟いたのが聞こえたかどうか。こっちは脇の下に汗をかく思いだった。
だが、壇上に立つ吉増氏はみごとなentertainerだった。初めは麻布十番の蕎麦屋で、近藤、タケイとともにやった昼酒のせいで眠くて堪らず、両君とも心配顔でこちらをちらちらと気にしているほどだったけれど、話が進むにつれて俄然面白くなってくる。
壇上で吉増氏は直感し、交歓し、降臨し、降霊した。つまりそのさまをわれわれの面前でくまなく演じて見せたのだ。これを最高のentertainmentと言わずして何と言ったらいいのか。宝貝の作り物など、ほとんど幸福な、でも呵々大笑ものというべきではないか。唐十郎氏ともさいきん会ったということを話されていたが、この、無から有を生み出すような点は、演劇と通うところがあるようである。
倉田良成さま
当日はありがとうございました!
現在営為編集中です!
ウルトラと、このHPに掲載予定ですので、
楽しみにしていて下さいね!
及川拝