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人間の言葉としてよりすぐれているのはどちらか?

及川俊哉

 先日、NHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」(http://www.nhk.or.jp/special/onair/090412.html)という番組と、映画の「エマニエル夫人」を立て続けに見る機会がたまたまありました。その時に感じた複雑な感想のようなものをまとめてみたいと思います。

 見ていない人のために、まず「ヤノマミ~」の方から説明します。南米アマゾンの奥地に一万年も生活様式を変えずに暮らしている「ヤノマミ族」という部族がいるわけです。かの文化人類学者のレヴィ・ストロースも訪れたらしい。その部族にNHKが特別に許可を取って長期取材を敢行した、そのドキュメンタリーの番組です。猟に出た村人がイノシシを捕ってきてそれを解体するシーンとか、村のシャーマンが病人をなおすために儀式を行なうシーンなどが原初的な活力があって驚かされるものでした。

 しかし、圧倒的な迫力があったのは、村のとある14歳の少女が妊娠してから出産するまでに密着したエピソードでした。14歳で妊娠し出産するというのは部族内では珍しいことではないそうです。また、父親が誰かわからない状態で子育てをしていくということも珍しくはない。しかし、さまざまな条件の下で、子育てに困難がある場合、誕生したての嬰児を育てるか、森に返すかは母親の選択に任されている、というのです。つまり生まれてすぐの嬰児はまだ人間の仲間に入っておらず、「精霊」の一種だと思われているので、これを育てずに森に返すことは――もちろん母親にとっては辛い選択ですが――禁忌にあたることではない。「森に返す」ということの方法も、シロアリの巣の中に入れておいて、あるていど骨になってから巣ごと焼いて天に返す、というちょっとショッキングな方法でした。しかし、それが部族の葬送儀礼というか、ちゃんとしたフォーマルな精霊の取扱い方なのであるから、その点は方法としてむごいと思っているのかどうかは実際はよくわからない。  
 
 今回の当該の14歳の少女は結局育てる選択をできずに生まれた赤ん坊を森に返すわけです。どういう事情があったのか、映像ではそこまでは説明しなかったので、少女の内面的な葛藤がどういうものであったのかはよくわかりません(ヤノマミの言葉を理解するのにも、間にポルトガル語がわかるインディオに入ってもらって伝言ゲームのように通訳を介さなければならなかったようなので、複雑な心理などはよくNHKクルーにもわからなかったのかもしれない)。しかし、辛い選択をした少女が体調を崩しているときに、少女の父親が繰り返しある言葉を告げて慰めようとするのです。この言葉が興味深かったのでメモを取っておきましたが、「森は大きい」「歩き尽くせないほど大きい」という内容です。これを、何度も何度も父親は娘に語って聞かせるわけです。これは、詩の起源なのだろうな、と思いました。つまり、辛い目にあった人間に対して、「辛かったね」と言っても、何のなぐさめにもならない、しかし、励ましたい、愛情を伝えずにはおれないという気持ちがあったとき、言葉によって相手をより広い世界に解放してあげたい、という気持ちの表れだったのではないでしょうか。これは、隠喩のはじまり、詩のはじまり、祈りのはじまりをとらえた、とても優れたシーンだったと思います。

 さて、一方で「エマニエル夫人」ですが、こちらは有名な映画なので、解説は簡単でいいと思います。簡単にまとめると、タイの外交官の妻として現地に合流したエマニエル夫人が、現地のフランス人の乱脈な性交渉のあり方に影響されながら自身もしだいに性に開放的になっていく、という作品です。今回始めてみたのですが、ちょっと、あまりにもお話としてはひどいというか、ヤノマミ族のドキュメンタリーに続けて見てしまったのがいけなかったのかもしれないですが、文化的頽廃ぶりが露悪的に感じられる映画だった。シルビア・クリステルという主演の女優さんの演技力でもってる映画でしょう。
その中にアメリカ人のレズビアンの考古学者と恋愛関係になるエピソードがあるのですが、まあ、性的な交渉をもつことには成功するが、こっぴどくふられるわけです。エマニエル夫人にとって見れば、ちょっと周りのフランス人達に自慢話の一つもできるように、という冒険のつもりで始めたことが手ひどい火傷を負うことになってしまい、失意に沈みながら泣き濡れて帰ってくるわけです。しかし、これに対して夫の外交官が何を言うかと思うと「今回の失敗はいい経験だ、次にチャレンジして学べばいい」というわけです。

 自由恋愛主義みたいなことを掲げて、他の男性とつきあってきてもかまわない、という事を公言する夫なので、こういう発言になるのかもしれないが、ちょっと、あまりにもひどいというか、鼻白らむというか、憮然としてしまった。どうしても、やはりヤノマミ族の父親の言葉と比較してしまうわけです。

 この二つのエピソードは根本的な話の構造は全く同じです。性的に不幸な体験を持ってしまい、傷ついた家族の中の女性に対して、それを受け止めるがわの男性が言葉を使って慰めようとするわけです。家族集団の中の人間の関わりあいの行動としてみたときに、両者は同じ構造をもっている。しかし、フランス人の夫の関わりはヤノマミ族の父親の関わりと比較したときに優れているとはとても言えないのではないかと思いました。フランスは、西洋文明の基盤を持っているから、文明としては優れているのかもしれないが、人間の関わりあいの文化を比較されたときには、ヤノマミ族より劣っているのではないか。精神文化としてはヤノマミ族の方が優れているのではないか。どちらの文化がより人間を幸福にするのか、と考えたときにはすぐに結論は下せないのではないか、と思いました。

 むろん、中学生ぐらいの年齢で女性が妊娠出産を経験しなければならないことや、きちんとした出産医療を受けられないことや、赤ん坊の人権の問題や、その他、もろもろ、すぐに反論が来ることは私も予想しています。よって、より問題の焦点を絞って、簡単明瞭にするために、こう言いかえてみましょう。ヤノマミ族の父親と、フランス人の夫の発言を比較したときに、「どちらが人間の言葉として、よりすぐれているのでしょうか?」と。
やはり私はヤノマミ族の父親の言葉の方に軍配を上げたい。

 そして自分も詩を書くときはヤノマミ族の父親と同様に、祈りの言葉として書きたいと思います。それは、いわゆる癒し系の詩ということともちがうわけです。人間が、人間に向かって言うことができる、最善の言葉、そういうものを私は探していきたいのだと思います。

(2009年5月7日)



及川 俊哉(おいかわ しゅんや)
1975年岩手県生まれ。現在は福島県在住。
2005年、12月23日、は東京駅「銀の鈴」前で突如として「ウルトラ」2代目編集長に任命され、現在に至る。
2009年 詩集『ハワイアン弁財天』(思潮社)発表。

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