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灰と紫

杉本徹

わたしが植えたイデュメアの樹は
音のない天体に揺らぎ
……いつか人影のような昼を告げるだろう
水を掬うてのひらに、わずかな逆光の歌声が射すと
その掌の象りは永遠に十二月のまま、都市の
暗がりの羅針となり、……
忘却の北、忘却という廃線!
七つの曲りかどのある記憶から、剥がれ落ちていった
すれちがう靴音の砕いた凍る葉の、脈拍へ
「雪の舞う旧約にそって、ひとりは六十年をあるいた」
「ひとりは閃光エクラ の名を呼び当ててのち、残像の風を生きた」


 *


写本とは、くちずさむもの
行きずりの冬が地を、照らすとき
日没に宛てて解かれた樹の、梢の輪郭をくちずさむように――
渦巻く港湾だとか、古い市場の青い貝殻、とか
打ち寄せる六千年の静脈の、うすい彩色ばかり遠近に滲んだ
「この世界はたえず何かの似姿であり
               無花果を裂く手も」
めぐる点滅を時間の殻と呼ぶなら
あのフリーウェイの消えゆく西空をながめつつ、税関で
写本をめくる人影もまた、くちずさむもの
「睡りなさい、写された夜の椅子を
           そして窓までの、語られない距離でありなさい」
どこからか、傷ついた郊外の鋤がもたらされ
わたしともわたしたちともつかない、陽だまりの署名を崩す
そこは、安息のシラブルほどの小鳥の骨によって
囀られた、てのひらほどの土地
「てのひらほどの、かなしいギヨームの詩句」
寒冷地で売られる惑星の花が、ときにララと吹きこぼれる日を
路面の光輪を踏むことで思い出す――
十四世紀に
わたしたちがすでに語りあったように
生存の棘はあられもなくターミナルの雑踏において反復され
翻るながいながい帰還物語ノストイのための
一行と五行だけがひたすら待たれたのだ、……二重露光の踊り子は黄ばんだ
その割れてゆく写真を睡る、わたしたちの都市オブスキュラよ


 *


一行のなかに読んだ「十二階」の文字が
木苺の潰れる粗布とともに
落日にさらされ
過ぎた港町のきしむ机で
崖となる、……魂のために何を棄てたか
そう問うて銀幕エクランと名のる運転手はハンドルをきった
そこまでが、終焉にひとしい史実の見える急坂で
鸚鵡貝のいちまいもいま、賑わいの薄闇のなかで差し出された
おそらくは苦りきった足どりが石段のあすを叩くのだ
結語のない手紙類にまぎれたノンも星も
嘘のような晴れやかさでまたたくから、棄てた
かしいだ厨房の半開きの窓が見え、煤のはてに島が睡った
時間は降りそそぐ何かに似ようとして
庇の塗料ほどにも海風に傷んだ
おそらくは苦りきった足どりが、わたしのあすを叩くのだ
……日付の距離など知れている
しんじつ場末の銀幕に映る永遠もどきの、青など知れている
ふいに西陽ひとさじ、露店で購った濃いコーヒーにうかび
微笑もまた暮れてゆく崖と知った
すれちがう初老の男たちの会話ごしに
鳩らしき影の飛びたつ、そのふかい青の底を知った
「冷えてゆく銅貨のような踊場から、踊場へ、
駈け上がること――」
やどり木のうろに射した谺の、それは細いひとすじだった


 *


床に落ちた灰色の陶片をひろうと
中二階の奥、いまひそかに閉ざされた窓の
夏のこと、……六十年前も、六十年後も
わたしのいない街景のこと
斜めに陽の横たわる裏通りの対岸で、紫の小壜から
海があふれ、人のけはいの去った写真館を浸す
その刻々の沈黙に光の傷がはしる、……六秒前も、六秒後も
吹きさらしの言葉は落ちつづけるネガ、として
「まぶしくも遠ざかるテラスごし、十二歩をかぞえた――」
灰と紫
こごえる街景こそ光におびえる窓の、夏にふさわしく
剥がれかけたポスターのなかでうつろう偏西風の綴りは
ちりぢりに十二月の路肩ににじむ帰還者の足どりへ、まぎれた
灰と紫
そうだこの日から、半島のはじまりを雪の言葉が告げる


 *


こうのとりの眼をしたバシレウスを、一人降ろすと
ドアは閉まり
水びたしのホームにちらほら、未来も映る
ゆるやかに靡こうとする樹々の時間は
いつも遅れがちに語られる
その繁みの明暗を抜けることも、だから十八時きっかりとは限るまい
定刻の、掟のアナウンスをゆらゆらと消して
きのうの列車は遠のいたのだ
わたしは盗賊という名の運河を、ゆらゆらと歩いた
他愛のない数語を水面に投げる、ちいさな少女がいて
すべては泡ほどの歌になれ
そんな、人影の垂れさがる冬のスティルを心に刻んだ
……雪とともに畳まれて新聞がベンチに
古い日付の空に舞いつづける灰の色は、舌に溶けて
背後に滲んでゆく樫の世紀ばかりが、老朽船の梁のようにさわいだ
葦の世紀ならいまに足下にひろがるさ
結氷期になげうたれた自転車の光を、そこでひっそりと守り
鉄路に照りかえす惑星ケレースの悲鳴の
ひとくさり、車輪に照り映える何ごとかの息つぎの
錆とともに、あなたに書き送る――
「拾いあげた小石を放ると、たちまち風に沈んだ」
「わたしは盗賊という名の運河を、ゆらゆらと歩いた」
遠ざかることのできる天体だけがきっと
信ずるに足る
ノートの切れはしに描いた岬の夏から、それしきの伝言を飛ばして
暗い水を切る羽ばたきにつかのまの、一人称の火を聞いた
灰の色の、とどかない対岸の夜を聞いた





初出 近刊詩集『ステーション・エデン』(思潮社)より

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杉本 徹(すぎもととおる)
1962年、名古屋市生まれ。慶応義塾大学文学部仏文科卒。
2003年、第1詩集『十字公園』(ふらんす堂)。
2009年、第2詩集『ステーション・エデン』(思潮社)で歴程新鋭賞。

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