六本木詩人会 六本木詩人会 ホテルアイビス六本木

編集後記 2011年8月


夏の暑さもゆっくりと秋の方角へ向かって立ち去ろうとしております。季語をあまり必要としない詩の世界においても、詩を書く主体が人間である限り、季節との関係性は切り離せません。季節そのものが登場しなくても、表現の根底にはその影響が垣間見えたりもします。そこには、日本語の本質的な特徴が隠されているようにも思います。今月の作品を見ながら、そのようなことを考えました。
大変遅くなりましたが、8月の作品とエッセイをお届けいたします。お時間がある時にごゆっくりお楽しみ下さい。

六本木詩人会 編集担当
松本秀文


· · [印刷する]

5 コメント “編集後記 2011年8月”

  1. 山田太郎 より:

    福島県知事の佐藤雄平氏が児童への被爆基準を年間一ミリシーベルトから
    20ミリシーベルトへ引き上げるよう国に迫ったことや、
    (TBSラジオ武田記者「「子供の20ミリ被爆」と「SPEEDI隠し」は「泣き芸」知事の仕業)
    この知事が福島県民の健康被害調査を妨害しつづけていることも明らかになりつつある。(ドイツの放送局ZDFの「フロンタール21」)

    そんななかで、詩人はこういった状況を批判的にみつめるどころか、むしろ積極的に権力にとりこまれようとしている。
    詩人の批判精神はどこへいったのだ。恥を知れといいた。

    それにしても以下の連名はひどすぎる。詩人は批判精神を失ったのか!

    福島のももが送られてきました。
    メッセージが添えられておりました。

    福島県知事 佐藤雄平さん
    福島市長  瀬戸孝則さん
    詩  人  和合亮一さん
    http://www.iesu.co.jp/column/2011/08/06120220.html

    いやはや詩人さんも偉くなったものだ。
    知事、市長、詩人の三者連盟だものな

  2. 山田太郎 より:

    訂正。

    知事、市長、詩人の三者連盟だものな

    知事、市長、詩人の三者連名だものな

    失礼しました。

  3. 山田太郎 より:

    和合亮一さん、ぺらぺらとよく喋るね。
    いま、和合さんのような詩人さんたちの扇動によって幼い子どもたちが黙って放射能を含んだ給食を食べ、被爆している。
    その子どもたちはそのことを語れない。いや、表現することが不可能なほど重い言葉を抱えている。
    そのことを和合氏はなぜ語らない? なぜ子殺し体制に擦り寄っていく?
    なぜ500ベクレルなどという途方もない暫定基準値の桃や梨を売る知事や市長の手助けをする?
    詩人がデタラメだから、ふつうの科学者がむしろ子どもたちの心を代弁している。

    「少女は語らない」
    http://takedanet.com/2011/09/post_bc31.html

    詩人たちは恥ずかしくないのか?

  4. 山田太郎 より:

    和合氏はしきりに福島という「地元」を口にするが、「地元」など存在しないのです。
    存在するのは放射性物質で脅かされた一人一人の人間です。
    一部産業の利益と土地のイメージを一体化して、それを擬人化したもの、それが「地元」ということばです。

    500ベクレルを上限とする農産物を売る市長は、人の命よりも、そのような「地元」を優先している。そんな市長を手助けする和合氏は、人命を軽視しているとしか言いようがない。

    すでに福島県の原発周辺は東電の加害行為によって人が住めない場所になってしまった。加害者が東電であり、それによって土地が汚染されて危険な場所になってしまった現実を認めるところから出発しなければならない。

    「福島の土地は生きている」「福島の土地を守ろう」という集合的生命イメージ。そのようなものは歴史的に見ると、いつも政治的腐敗と、もちつもたれつでやってきた。
    一人一人の命を越えた崇高なる国家、地域、郷土といったイメージをうまく使って、一人一人の人間にとって悲惨なことをさらに繰り返すのだ。

    土地はあくまでも一人一人の人間のためにある。土地が放射能で汚染されたのであれば、その土地はもう使えない。そこでは住めないし、そこでつくった農作物は人を殺す毒物になる。

    大切なのは一人一人のかけがえのない命である。和合氏が叫ぶ「福島!」だの「日本!」だのといった、国境やら県境やらで線引きされた土地が擬人化されたイメージではない。
    大切なのは一人一人の命である。

  5. 山田太郎 より:

    >500ベクレルを上限とする農産物を売る市長は、人の命よりも、そのような「地元」を優先している。そんな市長を手助けする和合氏は、人命を軽視しているとしか言いようがない。

    上記のような投稿をさせていただきましたが、訂正させていただきます。
    「和合氏は人名を軽視しているとしか言いようがない」ではあきらかに誤解があります。
    というのも最近になって、福島県が大丈夫だといって売っている梨や桃の、この上限500ベクレル以下という国の暫定基準値の意味があきらかになってきました。
    それを公にしたのは東北文教大松田浩平教授です。それは以下のような注意と呼びかけです。

    【食料生産者の皆さんへ】国の暫定基準値の500Bq/Kgは全面核戦争に陥った場合に餓死を避けるためにやむを得ず口にする食物の汚染上限です。もしも放射性セシウム137が500Bq /Kgも含まれた食品を3年食べたら致死量に達します。全てが基準値ぎりぎりではないとしても重複内部被曝を考えれば政府の暫定基準値では10年後に半数以上の国民が致死量以上に内部被曝する可能性が95%を超えます。つまり暫定基準500Bq/Kg未満で安全宣言すると言うことは、その食品を食べた人が 10年後に半数は死亡してもかまわないと言っているのと同じだと言うことを忘れないでください。
    (東北文教大松田浩平教授)

    つまり和合氏は「人命を軽視している」のではなく、「詩のことばを使って人を殺そうとしている」と言い換えるべきだとわたしはおもいます。

    嘆かわしいことです。現代詩は結局こういうことしか現実にはできなかったのかとおもうと、ただただ、嘆息するばかりです。

ぜひコメントを残してください

 
六本木詩人会